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不思議な国のアリランス

『おにいちゃん―回想の澁澤龍彦』矢川 澄子

「人並みの幸せを追い求めるのはやめようね」それが澁澤龍彦の口ぐせだった。「おにいちゃん」と呼んだかつての伴侶との十年の結婚生活を偲ぶ珠玉のエッセイ17篇。
目次
おにいちゃん
一九五X年・夏
《彼等》のその頃
《神話》の日々
わたしひとりの〈たま〉―私小説的考察
少年と、少女と、幾冊かの本の話―『夢の宇宙誌』まで
《渋沢龍彦》の成立まで
『暦物語』のこと―装幀家・渋沢龍彦
素朴と情念―Iの場合
わたしにとってのモロー〔ほか〕

澁澤龍彦についての暴露本なのだが、これが書かれた当時はどういう受け止め方をされたんだろうと考える。1995年だから30年ぐらい前なのである。当時そんな話題はあったかなと思う。それほどファンでもなかったから見過ごしていたのだと思う。

面白いと思ったのは澁澤龍彦が書いた作品をほとんど共作だといい、子供を産めなかった代償だったというようなことを書いているところだ。彼女の幸福は子供を生んで人並みに幸せに成りたかったのだろうか?そこに澁澤龍彦のコトバが意味を帯びてくるのだと思う。

「人並みの幸せを追い求めるのはやめようね」

それが最初の男との関係が出来たときに言われた殺し文句だと書いているのだ。そして人並みの幸せではなく、本の世界へとのめり込んでいった。彼女は『不思議な国のアリス』の翻訳者だった。それで名前を知っていたのだった。ルイス・キャロルもアリスのモデルにまつわるスキャンダルがあったと思い出した。

ファンタジーの世界がリアルな現実の中で蹂躙されることは我々は好まない。だから『不思議な国のアリス』も澁澤龍彦の作品も相変わらず読まれ続けているのだと思う。それは幻想だったと当事者が主張してもファンタジーの世界を夢見てしまうのだろう。例えば翻訳者であった矢川澄子はルイス・キャロルのことを知らなかったのであろうか?たぶん、そんなことはなく、作者と作品は別だと考えたのかもしれない。それは若かりし頃のことなのかもしれない。澁澤龍彦の関係も若かりし頃の何もしらない初な女子が出会った悪魔だったかもしれない。それを天使と見間違うことはあるのだろう。

彼女も追っかけとしてのめり込んで行ったようなことを書いているが、澁澤龍彦がいなくても精神形成に影響はなかったと言っているのと初だった女子であるというのがどうも繋がらない。やはりかなり影響を受けていたのではないかと思う。それが澁澤龍彦の殺し文句に引っかかってしまったのだろう。

いま、橋本治の『源氏物語』の翻訳を読んでいるが、光源氏にホイホイ付いていく女たちは何なんだろうと思うと、澁澤龍彦も光源氏タイプなのかなと思ってしまう。

澁澤龍彦は遺作の『高丘親王航海記』を読んだぐらいでファンタジー作家だと思っていたが、最近(2022年だった)『異端の肖像 』でレビューを書いていたそのままの性格だったのかもしれない。

幼児性という二人に共通する大人に成りたくなかったことが結びつけたのではないかと思う。そういえば同じAmazonにユリイカの矢川澄子の特集があり、『総特集=矢川澄子 不滅の少女』とあった。

「不滅の少女」というのも神話で、その神話の裏側を暴いてみせたのだと思う。澁澤龍彦の暴露よりもそっちの方が大きかったのではないか?



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