澤地久枝のアンソロジー
『昭和とわたし 澤地久枝のこころ旅』澤地久枝 (文春新書)
澤地久枝のアンソロジー。文春の編集者が澤地久枝の本からの言葉をまとめたもので、澤地久枝がノンフィクションでやっていくまでの道のりやその過程で出会った様々な思い出を語るような本。
昭和を知る昭和一桁世代というより、満州帰国者だった。そのときの難民(棄民という言葉を使っている)状態の苦労話は、現代の戦争につながる話であり、戦争をしらない世代には、日本でもそうした歴史があるのだと証言する。それらは歴史の事実として隠されてしまうものであり、ノンフィクションライターとして、澤地久枝が関わってきた問題はそうした問題でもあったのだ。
それは歴史の裏で女性が被る問題と共に一人の男たちのドラマの陰には女がいるということで『妻たちの二・二六事件』から石川啄木の妻を描いた『石川節子 愛の永遠を信じたくて候』まで。その間に『密約 外務省機密漏洩事件』があり、時の権力者によって沖縄密約問題を女性スキャンダル問題にすり替えてしまったジャーナリズムの怒りみたいなものもあるのかもしれない。
それは満州の植民地政策を推進しながら、その国民を棄民した戦後を絶対忘れない(当時は軍国少女であった)ということで、「君が代」も拒否するし天皇の戦争責任も問わずにはいられないのである。それは澤地がまだ少女なのにロシア兵に襲われそうになったのを母の懸命の抵抗によって救われたこと、また満州での中国人からの援助や彼らにしてきたことを反省して、それらは自分が生きている限り消せないという澤地久枝の証言でもあるのだ。
戦争について何も知らないという日本人を、澤地は知ろうとしないと叱り飛ばす昭和一桁オバサンであり、日本の昭和(戦争)を知るにも重要な証言者の一人として、それらの歴史が埋もれて隠蔽されるのを何より怒りを持つのである。
そんな中で同じ女性作家として向田邦子から受けた先輩作家の優しさみたいなものも書かれていて、澤地久枝という作家が出来るまでとノンフィクションライターと生きてきた女性作家のアンソロジーの本だった。
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