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聖女としての「ジャンヌ・ダルク」
『ジャンヌ・ダルク 』ジュール・ミシュレ (著), 森井 真 (翻訳), 田代 葆 (翻訳)(中公文庫プレミアム/ 2019)
歴史家ミシュレが、大著『フランス史』で描いた人物のなかでも特に愛した〈救国のヒロイン〉ジャンヌ・ダルク。
百年戦争下のフランスを窮地から救いながら、異端者として火刑に処せられる数奇な生涯を、ミシュレはキリストになぞらえ、共感と情熱をこめて描き出す。
シェイクスピア『ヘンリー六世』の淫蕩な魔女としてのジャンヌに耐えられなく、フランスの作家として「聖女」ジャンヌを描いたこの本を読んだ。100年戦争を通して、フランスではジャンヌ・ダルクの台頭とフランス革命で国民国家が築き上げられた。イギリスは薔薇戦争を経て政教分離のクロムウェルの改革(清教徒革命)を、その過程を描いたシェイクスピアとミシュレは国民作家なのだろう。ミシュレはジャンヌ・ダルクを「聖女」としてキリスト教の信仰の中で現れたキリスト(使命ー活動ー受難)として描こうした。
オルレアンの包囲網を突破した後のパリ侵攻でジャンヌが捕らえられたのは、まだ国民国家としてのフランスではなくキリスト教国としてブルゴーニュ公が君臨していたパリだった。そしてイギリスのウィンチェスター枢機卿が魔女裁判でそれを利用した。ウィンチェスターはフランス国王シャルルを懐柔させて、イギリスのグロスター公(シェイクスピア『ヘンリー六世』での枢機卿との対立)への権力闘争を優位に勧めるためにジャンヌの魔女裁判を利用した。それはカトリックのキリスト教国(宗教国)と国民国家の争い(過渡期)でもある。
そこで魔女裁判でジャンヌを失墜させたわけであった。フランスの権力者にとってもそれは都合のいいことだった。そして火刑されたのだ。しかしその燻った火種がフランス革命へと飛び火していくのだ。ミシュレはジャンヌ・ダルクを「聖女」としてキリスト教の信仰の中で現れたキリスト者として描こうとしていたのだろう。それがフランスのキリスト教国としての正統な系統として受け継がれた精神なのだ。それが「結語」にあるという言葉。
「左様、〈宗教〉からいっても〈祖国〉いっても、ジャンヌ・ダルクは聖女だったのだ」
ただ実際のジャンヌはちょっと違うような気がする。異端審問官(魔女裁判で証明出来そうもなかったので異端裁判に切り替えた)で「乙女」ということをどう思うかと質問されたときにジャンヌははっきり答えなかった。そしてあくまでも男装にこだわった。つまりトランスジェンダーとしてのジャンヌに魅力を感じてしまう。ミシュレがこだわったのは聖性として「乙女」(処女性)としてのジャンヌだった。
「シェイクスピアからミルトンまで、ミルトンからバイロンまで、彼らの美しくまた暗い文学は懐疑的で、ユダヤ的で、サタン的である」
シェイクスピアはジャンヌを淫蕩で取り巻き貴族の子供を身籠ったために死刑を逃れようとした魔女として描いた。ただジャンヌは「乙女」を否定した記録に尾ひれがついてイギリスのジャンヌ=魔女説が拡散された。それを否定しているフランスの「聖女」伝説でもジャンヌの真実は明らかにされない。ジャンヌの特異性は、やはりサタン的(いい意味で堕天使としてのサタン)であったのではないか?人間でも神でもなく。(2020/12/21)
参考映画:カール・Th・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』
参考本:安彦良和『ジャンヌ』