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極北のハン・ガンの物語

『別れを告げない 』ハン ガン【著】/斎藤 真理子【訳】(エクス・リブリス)

済州島4.3事件を背景に、いま生きる力を取り戻そうとする女性の友人同士の再生の物語。待望の最新長篇。韓国で発売後1か月で10万部突破!
作家のキョンハ(「私」)は2014年の夏、虐殺に関する本を出してから、何かを暗示するような悪夢を見るようになる。何度も脳裏に浮かぶ黒い木々の光景がずっと気がかりで、よい場所に丸木を植えることを思い立つ。ドキュメンタリー映画作家だった友人のインソンに相談し、それを短編映画にすると約束して4年が過ぎた。一人っ子のインソンは、認知症の母親の介護のため、8年前に済州島の村の家に帰り、4年間母親を看病して看取った。キョンハがこの夢の話をインソンにしたのは母親の葬儀の時だった。インソンはその後も済州島の家にとどまることに。キョンハはその間に家族や職を失い、ソウル近郊の古いマンションに引っ越してきた。心身は疲弊し、遺書も何度か書いた。その年の12月、キョンハのもとへ、インソンから「すぐ来て」とメールが届く。インソンは病院にいた。木工作業中に指を切断してしまい、苦痛のとぎれることがない治療を受けているところだった。インソンはキョンハに、済州島の家に今すぐ行って、残してきた鳥を助けてほしいと頼む。大雪の中、キョンハは、済州島のインソンの家に何とかたどりつく。4・3事件を生き延びたインソンの母親が、夢でうなされないように布団の下に糸鋸を敷いて寝ていた部屋にも入る。夢とも現実ともつかない中でインソンがあらわれ、鳥を仲立ちにして静かに語り合う。そこで初めてキョンハはインソンがこの4年間ここで何をし、何を考えていたかを知る。認知症が進んだ母親の壮絶な介護、そして、母親が命ある限りあきらめず追い求めた真実への執念も…。韓国人として初のメディシス賞受賞作。

極北の文学というにはこういう物語のことを言うのだろうな。カフカの『田舎医者』の閉鎖された雪深い村とアンナ・カヴァン『氷』の絶望しかない中に希望を見出すとしたら狂気しかありえずそれが文学なのだと知らしめる。

終わらない絶望は、済州島でも光州でもガザでも続いている。そうした死者たち(行方不明者たち)を埋葬出来なければどこまでも探し続けたという母がいて(幼い母の叔父の遺体を探す人生)、その災難は母を介護する娘までも覆っていく雪深い迷宮物語なのだが、雪片のようにと喩える雪の結晶は地上に降りてくるときに水だけではなくゴミとも結びついてそれを凍らせて結晶化して大きくなって降り積もる。冷たく凍える寒さなのだが、その中に暖かさも感じられるのは、そこに小鳥の希望があるからだろうか。

それはほとんど幻想の炎なんだが、マッチを擦る時(マッチ売りの少女か?)のその炎の羽ばたきという詩的な言葉の連なりが雪片に埋もれているのだ。

インソン(語り手の友人であり、母の家族が済州島4.3事件の被害者)との出会いから、彼女の指の切断という痛み。それは痛みを伴うリアリティな描写であり、指の神経を麻痺させないために針を刺して血を流すという治療法なのだ(切断したほうがよくないか?と思うのだが彼女は苦痛の方を選ぶ)。それは彼女の指の血が書かせた物語でもあり、そうした身体的苦痛(それは精神的ということかもしれないが無意識の身体に語りかけるような)を伴う読書なのである。

そして切断された指の血から豪雪地帯の島へ。インソンから面倒を見て欲しいという小鳥の物語。それは彼女の生きる希望だったのだろう。鳥が象徴する希望があるのだが、死んで雪の下に埋めてしまう。

しかし語り手が見る幻想の世界では鳥は生きていて羽ばたいている。そしてインソンも幻想の中で彼女と対話していく。かつて母が見たというインソンの生死の彷徨う姿と同じように。済州島4.3事件の被害者である母の希望は生きるインソンに託されていたわけだが、その母も介護するように弱ってしまい、インソンの母の介護はヤングケアラーの問題でもあるかもしれなかった。インソンが知る母は死に憑かれた人でしかなく、そんな母が若いときには済州島4.3事件の遺体捜索の活動をしていて、それは最近まで続いていたということだった。しかし叔父の遺体は見つからず、その時に逃げた若者の話が噂になって(その話をしたのが拷問に合って助かった父であった)、彼女はその幻想に憑かれる。幻想の連鎖は母から娘インソンへと受け継がれ、インソンはそれを記録映画に撮ることの準備をしていたのだ。その過程で作家である語り手の済州島4.3事件の被害者の慰霊の木の芸術の話があり、そこに彼女はのめり込みすぎて指の切断という事故に合う。そうした運命共同体として作家である彼女にもインソンと母の物語を語っていくのである。叔父さんというのはインソンにとっての叔父さんで母の兄妹だったのか。

ハン・ガンを読む。


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