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泥沼の酔いどれ教師浮上す

『ウォーターランド 』グレアム・スウィフト (翻訳) 真野 泰(新潮クレスト・ブックス)

妻が引き起こした嬰児誘拐事件によって退職を迫られている歴史教師が、生徒たちに、故郷である沼沢地フェンズについて語りはじめる。人と水との闘いの歴史、父方・母方の祖先のこと、そして妻との恋にまつわる少年時代の忌まわしい事件……。人間の精神の地下風景を圧倒的ストーリー展開で描きだす、ブッカー賞作家の最高傑作。

映画『帰らない日曜日』が良かったので原作者を検索したら、この小説に当たった。歴史を教える教師が歴史という科目が統合され退職させられる。その中で一人の反抗的な生徒に歴史と自分史を関連させて語る物語。今、流行りのオーラルヒストリーかと思ったら自ら語るから違うな。まあ歴史小説風私小説という感じか?忌まわしきことを神話的に浄化させる文学。ただ映画『帰らない日曜日』とは趣が随分違う感じだった。

歴史が忌まわしき過去をほじくり返しては、未来ある生徒に希望を与えないという、歴史教育のあり方。例えば、日本では戦後の民主主義教育がアメリカの政策による自虐史観だとして「歴史に学ぶ必要はない」とする大学教授もいるぐらいに右傾化が激しい。

さらに若者たちの代表するという評論家の一部にも過去よりも未来志向が大事なのであって、過去の問題ばかり教えるのは厭世的になるという現代的な問題をも含めて、歴史と個人の物語を重層的に語っていく。

それは、イギリスの湿地帯フェンズの開拓と衰退の歴史に、うなぎの自然科学の話が幻惑的に語られて錯綜したりして冗長すぎるきらいもある(さすがに500p.は長すぎると思う)が、語りの魅力と物語の奇抜さ(たぶんにフォークナーの系譜にある)に富んでいる。

フェンズが湿地帯から排水の産業革命によって、ビール工場を作った当主のイギリス王朝と共に歩んだ祝杯の歴史があり、やがて第一次世界大戦となってビール工場は衰退して、PTSDに苦しむ者の病院となる。

そのビール工場の最初の衰退の象徴として語られる当主の妻の亡霊物語、そして病院となってからの「世界を救いたい」という願う娘の物語、それが現在の歴史学の退職教師の自分史(知能障害の無垢な長男は、大江健三郎の小説にも重なってくるような)と重なってくるのだ。

酔いと狂気と歴史学者の視線の中で醸し出される物語は反抗的な生徒にどのように影響を与えるのか?それはフランス革命を教えている授業の課外授業であり、反抗と革命の夢、この絶望した世界を変革したいという退職教師が語る愛と喪失の物語。


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