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怪物の名はアダム
『フランケンシュタイン 』メアリー シェリー (著),, 小林 章夫 (翻訳)(光文社古典新訳文庫)
天才科学者フランケンシュタインは生命の秘密を探り当て、ついに人造人間を生み出すことに成功する。しかし誕生した生物は、その醜悪な姿のためフランケンシュタインに見捨てられる。やがて知性と感情を獲得した「怪物」は、人間の理解と愛を求めるが、拒絶され疎外されて…。若き女性作家が書いた最も哀切な“怪奇小説”。
「カルチャーラジオ 文学の世界 ゴシックの扉」でメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」をやっていて、以前100分de名著でやったのだが、その時に新潮文庫でよんでいた。怪物の名前がそれを作ったフランケンシュタイン博士の名前とごっちゃになっていること(『怪物くん』による影響かも)。もとは無口な暴力的な創作物であるというより人間に学びコミュニケーションしようとしたこと。
今回改めて読んだがその語りの回りくどさに驚いた。そして、最初探検家ウォルトンが姉に宛てた手紙が書かれているのがサンクトペテルブルクなのだ。メアリー・シェリーがゴーゴリを読んでいたは不明だが(メアリーの方が先に生まれ『フランケンシュタイン』は19歳の作品だった)関連性はあると思う。それはサンクトペテルブルクがパリに似せて作られた人工都市であり、ヴィクターの神秘主義的傾向はフォークロア(民間伝承)のゴシック(古典文学)を思い出させる。副題が「あるいは現代のプロメテウス」とあるようにプロメテウスの神話と重なるところがあるのだろう。
ただ電気によって蘇生させるという当時の科学万能主義の影響は、あとのリラダン『未来のイヴ』に引き継がれる(驚いたことに怪物はアダムと名乗っていた)。同時に観た自伝映画『メアリー総て』で夫であるシェリーが怪物では絶望しかない、天使に変えて明るい未来の話にすればと言うのだ。天使に変えてもディストピア小説だったが「フランケシュタイン」はお前のことだよ!とメアリーは言っても良かったかもしれない。
『フランケンシュタイン』のディストピア世界は、フランス革命の失敗をレポートしたエドモンド・バーグによる思想が背景にあるとラジオ講座で言っていたが、ちょっと違う気がする。
確かに怪物以上に怪物であるフランケンシュタイン博士の告白文学であるのだが(悪魔に取り憑かれキリスト教精神を忘れていた)最後まで彼が復讐心に取り憑かれ、また彼の分身とも言えるエリザベスとの対比によるとエリザベスはヴィクターを信じている。そこが単なる復讐譚だけではなく愛の物語としてのドラマがあるのではないか?ヴィクターは夫となる詩人のシェリーであり、そこに彼女の本心がまだあったのではないのか?
彼女の詩的才能を開花させたのは夫のシェリーだと思うのは彼の詩を引用していたり(彼の代表作『解き放たれたプロメテウス』が頭にあったと思う)、自然讃歌の描写はそのような影響があったからヴィクターの闇の部分とシェリーの闇の部分が重ねたのではないか?そうでなければその後に結婚するなんて考えられないわけだ。今回読んでみて何よりも驚いたのは怪物の孤独とフランケンシュタイン博士の孤独は重なっていくところだ。
それはジュスティーヌが無実なのに怪物の罪を背負わなければならない運命にあるということ。そのためにヴィクターはさらに復讐譚と突き進んでいく欲望機械であるということ。怪物との会話では明らかに怪物の方が論理的であるのは、昨今の生成AIに論破される人間を観ているようである。