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紀貫之の侍女なりすましブログ?

『土佐日記(全) ビギナーズ・クラシックス』紀 貫之 (著), 西山 秀人 (編集) (角川ソフィア文庫)

紀貫之が女性になりすまし、かな文字で綴った日記は、国司の任期を終え、故郷の京へと戻るまでのつらく苦しい船旅の記録であると同時に、土佐で亡くした娘への想い、人々の人情を歌とともに綴る心の記録でもあった。

紀貫之が女性に扮して土佐から京までの帰還の旅を描いたフィクション。当時、男は漢字で官庁の日記を書くことはあったが、私人としての日記は書けなかった(書いたかもしれないが発表することなどなかった)。

『土佐日記』はそういう意味でブログやSNS的なりすましで書くことが出来た日記なのである。それは当時官僚だった紀貫之は不平不満を公にすることは出来ず、侍女であるとすることによって、肩代わりして語ることが出来たのだ。また漢字文化よりも和(ひらがな)文化を普及させることも出来た。それは紀貫之が思う雅の世界なのである。

文学ファンタジーとして、歌物語的要素が強い。紀行文である。土佐から京まで船で50日以上もかかった(通常では25日ぐらい)難行であり、その旅での侍女の人々に対する批判的視点と京にあるとする雅の世界を対称的に描かく。その中で和歌は京の雅さを呼び覚ますファンタジーの歌なのだ。

水面の映る月の世界。波の合間は、厳しい船の物語。天候の不順、海賊に襲われるという不安、また人々のガサツさや、欲深さ。そういう思いを侍女になりすますことで書けるのは、漢文ではなく仮名文字であったということ。真名に対する仮名という紀貫之が『古今集』で示した理念もそこにある。

しかし間違ってはいけないのは、それはフィクションとして脚色された日記なのである。むしろ、歌物語として後の古典文学に繋がるものとして読みたい。紀貫之『伊勢物語』説もあるかもしれないと思える。物語の中で和歌が詠まれることによって、和歌の世界が広がっていく。それは芭蕉の『おくのほそ道』にも繋がっているのではないだろうか?

年末から始まって新年を迎えるのも、その時々の風習を伝えていて興味深い。また土佐にいて子供を亡くした愛惜の歌は、実際の紀貫之の本心ではないだろうか?そういうメソメソしたことを漢文では書けないので、あえて侍女の歌としたのではないか?

世の中に思ひやれども子を恋ふる思ひにまさる思ひなきかな

あるものと忘れつつなほ亡き人をいつらと問ふぞ悲しかりける

影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞ侘びしき

立つ波を雪か花かと吹く風ぞ寄せつつ人を謀るべらなる

忘れ貝拾ひしもせじ白玉を恋ふるをだにも形見と思はん

無かりしもありつつ帰る人の子をありしも無くて来るが悲しさ

生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ


関連書籍

橋本治『これで古典がよくわかる』

大岡信『紀貫之』


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