歌合は、天国と地獄仲間割れに注意!
『短歌パラダイス―歌合二十四番勝負』小林恭二 (岩波新書)
小林恭二は俳句の句会の本を読んだことがありました。そっちも面白く句会したいなあと思ったけどオンライン句会に参加したぐらいで、そのときはなんか内輪で馴染めなかった。いつもそうなんですが。
この歌合は、句会のような個人戦ではなく団体戦です。句会は俳句を詠む楽しさにあるとすれば、歌合は相手の歌を批評して自分たちのチームの歌をよく見せるというゲームです。
素人は批評がそこまで厳しく言えないので(俳句甲子園は別ですけど)このような歌合はなかなか出来ないと思いますが大学対抗とか結社対抗だったらできるのかもしれない。
古典で歌人がその歌合の判定に不服であとに切腹したという事件もあったような。とにかくそういうこともあるので、なかなか素人には出来ない。判定者にも読みのプロが必要です。権威的な人が判者でないと無理ですね。だから廃れてしまったのか?
歌合は、いろいろ呼び名が特殊で、平安時代から貴族のゲームですからちょっと専門的すぎてわかりにくいところがあります。
念人(おもいびと)が短歌を作って、それを方人(かたうど)が批評するのです。歌自体よりも、その批評性が勝敗を左右する。あと判定者の力量で、どう読んだかが勝敗の決めてになるので、芸術点はなかなか公平とはいかないようで難しいようです。
この本に参加していた歌人のメンバーが凄い。井辻朱美、大原和子、水原紫苑、三枝昴之、永田和宏、杉山美紀、吉川宏志、紀野恵、穂村弘、岡井隆、田中槐、小池光、河野裕子、荻原裕幸、梅内美華子、奥村晃作、東直子、俵万智、道浦母都子、加藤治郎。そして判者(判定者)は高橋睦郎。
当時(1997年)はまだ若手だった穂村弘や東直子から中堅の位置にいただろう俵万智、絶頂期の河野裕子、永田和宏、そしてもはや重鎮と言える岡井隆まで短歌界の代表だったでしょうね。こういう試みは、もっとやっても面白いかなと思う。最近はどうなんでしょう。
面白いのは短歌界はばらばらな個性が揃っているということです。河野裕子の伝統的な短歌や、古典派、俵万智の現代短歌、そして穂村弘や東直子のふわふわ短歌。
そうした中で幻想系といわれる水原紫苑の短歌で批評が真っ二つ割れた。
最初はパラシュートの視線は下からの眺めが開いたら乗りてに憑依してパラシュートの中にいる。その解釈が古株の人と新人では違う。分裂しているわけですけど、こういう短歌は最近では多いがその頃は出始めで、また作者の視点は一つというのが伝統派からは言われていたのだと思う。その見事な読みをしたのが穂村弘でこの人は作者以上に歌を読み込む。
後半はすこし飽きてきた部分がありましたけど、なんせ次から次へわからない短歌が出てくるので理解が追いつかない。こういう歌合のようなパフォーマンスがあると短歌界も面白くなりそうなのに。月一でどっかの雑誌でやればいいのに。