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ストレスを舐めてはいけないという話
幼少期から病気がちでストレス耐性のない体はちょっとしたきっかけで度々バグを起こしてきた。
バグが起きるたびにいくつもの病院を受診してきたが体に異常は見つからなかった。
毎度毎度言われるのは「ストレス性のもの」。
そう言われると自分も周りもホッとする一方で「ストレスごときで」という空気が立ち込め始める。
これという病名がつく状態ならまだ良かったのだがかろうじてついた診断が
「抑うつ状態」。
「うつ?でも笑えてるじゃん。」とか
「私だってそういう時期あったけど乗り越えた。」とか
「考えすぎなのよ。気楽にいきな。」などという周りの声に
甘えてはいけない。まだまだ自分は楽な方。こんなのなんてことないなどと自身に言い聞かせ気力で38年この体を運用してきた。
だが二年程前にいよいよ使い物にならない程になった。
職場のもめ事に巻き込まれたストレスで体に異常をきたし
歩くことも立ち上がることも困難な程になった。
数か月かけてなんとか日常に戻れたが深刻なバグを起こした体には
「多品目の食物アレルギー」という修繕不可能なバグが残った。
それ以来、外食という楽しみがなくなった。
口にしなくても臭いを嗅いだだけで異常をきたすので
料理ももはや苦行になった。
食べるという日常から切り離せない行為に気を使わなくてはならない。
「お昼ご飯何にする?」ではない。
「今この状況で口にできるものは何でどこにあるか」なのだ。
飲み会やお祝いの席も全く楽しめない。
カフェでランチ♪子供とレストラン♪なんて選択肢は皆無になった。
外出も人付き合いも億劫になった。
アレルギーの起こる品目は減るどころか少しづつ増えている。
アレルギーの発症は「ストレス」に起因することが多いとアレルギーの専門医に教えてもらった。
「ストレス」を舐めていた結果が今の自分なのだ。
また対人関係や業務のストレスにさらされて食べられないものが増えたりまた大規模なバグが起きたりしたら...と考えると怖くて外での仕事に就くことが恐怖になった。
二児の母なのに外出は子供の送迎くらいという完全な引きこもり主婦になった。
母で主婦でなければ冷蔵庫にところてんでもびっしり詰めて可能な限り自宅に籠ってひっそり過ごしていたいがそうもいかず「生活する」こと自体にストレスを感じながら毎日をやり過ごす。
一日が終わると「ああ、今日もなんとかやり過ごせた。」そう思いながら眠りにつく。
数年前までは「120歳まで生きる!!」と公言してきたが最近は
「明日でもいいかな...。」とふと思う。なんなら「今でもいいかも。」
完全な「うつ病」だ。
もちろん子供と夫のことが好きなので自発的に断ち切ることはしないが
その日がきてもいいと思いながら40手前にして「終活」を意識する毎日。
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前置きが全体を占めてしまったがつまりは「ストレスを舐めてはいけない」ということ。
体を壊してでも物事にまい進することが美学のような風潮が日本は濃すぎる。
実際、専門学校時代には体を壊しても、這ってでも仕事に行けと教え込まれた。
台風等の災害が目の前に差し迫っていてもギリギリまで学校に拘束されなんとか家に帰りついた者ほど自慢げにしていた。
無理をするのが美学なのだ。ばかばかしい。
私は幼少期からの体の弱さや薬の副作用もあいまって今の状況になっているので元々体が強くてもっと無理をしている人は沢山いると思う。
私よりもっと努力してもっと苦労して頑張っている人の方が恐らく多い世間に大きな声で言える立場ではないがストレスを感じているなら、体に異変があるのなら、我慢せずそこから離れて休養することだ。
周りや上司の目?先生やクラスメイト?親兄弟?家族?世間?社会?
そんなものの目などどうでもいいと気づかなくてはいけない。
「休みたい」という体のサインにもっと敏感にならなくては堤防が決壊した時、努力は一瞬で水の泡になって消え去る。
「ストレス」は病気ではないが病気以上に慎重に扱わなくてはならないことをもっと知って欲しい。
「ストレスは万病のもと」
整体師の知人が言っていた。「ストレス」が体を凝らせ放置すると大病につながる。「ストレス」で死ぬことはあるのだ。
人はもっと気楽に生きていいのだ。