私を巣くう正体、本谷作品の女たち
まともにことごとく否定され「こういう私です」と開き直る。
が板についてきたこの頃。
読書にすがっているので、生活中にダメージを受ければ、即座に本の世界へと降り立つ。
とにかく、何より、自分の心に良い作品をと書店へ出向き物色するうちに、これだというものに出会った。
初めて読んだ本谷有希子の作品は『ぬるい毒』。
題名から、“心地良いようでその実私を徹底的にダメにするものの正体”が描かれているのかなと思い手に取った。
味わったのは、すでに家族が浸かったあとの38度くらいのお湯に身を沈めるけど一向に温まらない、でも上がっちゃうのもなぁって徐々に奪われる体温をよそに何となーくそのままでいる、みたいな感覚。
すぐお湯から上がれば場面は切り替わり前に進むのに、なんかそれが惜しいような気がしてしまう。
こういう弛んだ感覚は、私自身にもおぼえがあった。
いつの何の件だったかは忘れたが、何か意味の無い執着を捨てれないというような事が。
次に読んだのは『あの子の考えることは変』。
脳みその働きのせいで悩みや固定観念を抱え、結果どうしようもない女になってしまう二人の女の惨憺たる様相。
その大部分に共感できてしまった私を、この二人の新たな仲間として向かい入れてくれないだろうか。
時間をかければ、上手くやっていけると思う。
『生きてるだけで、愛』。
主人公の女は過眠症で引きこもり、すぐに眠たくなってそれでたっぷりと眠る。
私も概ね眠い。
例えば朝、これから外に出て少し歩き鞄から定期を取り出し改札を超えホームで電車の到着を待つ自分の姿を想像すると、ボワんと眠気に襲われる。
世界を閉ざすいとも簡単な方法を誰もが有してるのに、みんな割とそれを行使せず勇敢に世界に挑んでいて感心する。
頑張って生きようがサボろうが、最期の瞬間に差はないでしょう、と。
・
「…なぜいつも、私がいるんだ。」
これはかなりまずい事だと理解しているが、本谷作品の至る所に私が存在している。
私の至る所に本谷作品の女たちが存在しているというべきか。
本の世界ではなく、現実で生きなければならない私にとっては強大な不安要素に他ならない。
ただ私が読んだ3作の女たちは、がむしゃらに荒波をくぐり抜け、最後には何か上向きな兆しを感じているように思われるのだ。
これが私の心にとっては凄くありがたい。
一筋縄ではいかない私という人間を楽しんでいこうという気が芽ばえるのだ。
しっかりと生きるために、どんな栄養素よりも優先して摂っておきたいこういう感情。
私に巣くう生きづらさの正体とも言える本谷作品の女たちに出逢い、彼女らの奮闘を見届けた私は、以前より少し生きやすい自分を獲得していたのだった。
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