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【新作落語】愛の檻

とあるオフィス。やつれた男が出社してくる。

瀬戸「…ざいす」
課長「おう、瀬戸君おはよう!なんだ座椅子って。朝は元気におはようございます!だろう。ハハハ。なんかやつれてるな。大丈夫か?」
瀬戸「…大丈夫れふ」
課長「語尾が怪しいぞ語尾が。どうした瀬戸」
伊勢「課長、課長、ちょっとこっちへ…」
課長「おう伊勢君おはよう。なんだなんだ」
伊勢「課長、今日の瀬戸は一大事だと思って下さい。ノストラダムスとかアルマゲドンとか満漢全席大バーゲンとかそういうやつです」
課長「おだやかじゃないな。何があった?」
伊勢「ほら、昨日の大ニュースですよ…」
課長「ヤマメの解禁?」
伊勢「なんでそれが大ニュースなんですか。毎年のことでしょそれ。ほら、芸能の…」
課長「あーあー!なんだっけ、石垣アイ?」
伊勢「石垣アイと忍野順です」
課長「びっくりしたねえ結婚発表。ドラマの共演がきっかけだっけ?あ…じゃ瀬戸君…」
伊勢「そうなんですよ」
課長「ハハハッ。何をそんな、十代の若者じゃあるまいし、ファンの女優が結婚するくらいでそんなズンドコ落ち込んでどうすんだ」
伊勢「ファンなんてレベルじゃないんですよ。僕、彼の家に行ったことあるんですけど…」
課長「ポスターでも貼ってあったか?」
伊勢「お菓子のCMあったでしょう。アイたんダンスっていう流行ったアレ…」
課長「あったかもしれんな。それが?」
伊勢「あれの販促用の等身大パネルがあるんですよ。オークション購入らしいですけど」
課長「そりゃすごい。でもファンならまあ…」
伊勢「十二体…」
課長「じ、十二体!?そんなに置くスペースがあるの?ワンルーム住まいだろ彼?」
伊勢「だから…彼の布団を取り囲むようにして、アイたんのパネルがこう…十二体」
課長「悪魔でも召喚する気なのか」
伊勢「ちなみにポスターは壁・天井に全面」
課長「怖いよそれ」
伊勢「だからレベルが違うんですよ。石垣アイは彼の全てなんです。神なんですよ」
課長「そんなとてつもないレベルとは…。しかしよく今日出社してきたね瀬戸君」
伊勢「だって、家に居ても、目に見える全てがアイたんですから、きついでしょう」
課長「そりゃそうだな。おーい瀬戸君」
瀬戸「…ふぁい」
課長「君、体調が悪そうだから、今日は外回りしなくていいから。資料の整理でもしてなさい。ね、いろいろ思いつめないように」
瀬戸「…ふぁい。あざふ…」
部長「おっはよーー!」
課長「あ、部長、おはようございます」
部長「いやーっ驚いたなあ!驚いたよなあ!昨日の、石垣アイと忍野順!」
課長「ぶ、部長!その話は!」
瀬戸「(小刻みに震え始める)」
部長「あいつらいつからデキてたんだろうなあ!ドラマの撮影中にもうヤッ…」
伊勢「部長―っ!ちょうどお電話です!」
部長「ああ、そうなの?誰誰?」
伊勢「ドスッ(みぞおちを殴る)」
部長「うぐっ…(気絶)」
課長「ちょっとお!伊勢君何してんの!」
伊勢「眠ってもらいました。リモート講座で学んだ暗殺拳法の応用です。目を覚ましても今の一瞬の記憶は消えています」
課長「そんな物騒な通信講座があるのか…」
伊勢「部長はこのまま応接室に運んで今日はソファで寝ていて貰いましょう。どうせ、いてもいなくても一緒ですから」
課長「そりゃまあそうなんだけど…。おい、瀬戸君、大丈夫か?」
瀬戸「ふあっ、ふぁい。…丈夫れふ」
課長「これは大変な一日になりそうだ…」

終業のチャイムが鳴る。

課長「いやあ、もう、ほんと大変だった!みんなあの話をしたがるんだもの。参ったよ」
伊勢「そりゃそうですよ。今一番ホットな話題ですから。日本中が石垣・忍野ですよ」
課長「まあでも何とか話を逸らせたな」
伊勢「女性陣が話題にした途端に緊急避難訓練を始めたのはお見事でした課長」
課長「ああでもしないとずっと例の話題だからな。で、瀬戸君はどうだ?」
伊勢「ゆっくり帰り支度を始めてます。けど心配ですよね。帰ってもあの部屋だから…」
課長「バカなことを考えんとも限らんからな。そうだ、今日は彼を飲みに連れて行ったらどうだろう。しこたま飲ませればその間だけでもアイたんのことを忘れられるだろう」
伊勢「そうですね。シラフだと何がきっかけであの爆発しそうなプルプルってスイッチが入るかわかりませんから…」
課長「おーい、瀬戸君、今日は飲みに行こう」

暖簾をくぐって居酒屋に入る三人。

課長「ほら、今夜はとことん飲もうじゃないか。私の奢りだ。嫌な事は飲んで忘れよう」
瀬戸「ふぁい…あざす…ビールいただきりゃす」
課長「まだ語尾が怪しいぞ語尾が。ワハハ」
店長「はい、お通しでーす」
課長「お、どうも。店長、こりゃ、エビだね」
店長「へい。今日はね、石垣アイさんと忍野順さんの結婚を祝って、腰が曲がっても仲睦まじくということで、剥きエビとそら豆を使った縁起の良い小鉢を出させていただき…」
瀬戸「(小刻みに震え始める)」
課長「縁起良くないよ!人の気も知らないでさ!いらないよこれ!酒!酒だ早く!」
店長「へ、へい。何をそんなに怒ってんだ…」
課長「さあ瀬戸君、気にするな、飲もう」
瀬戸「ふぁい…」
店長「(戸の開く音)へい、らっしゃい!」
部長「おおー!お前らやってんのかー!」
課長「ぎゃあ!部長!」
部長「おお、瀬戸ぉ!経理の奥野から聞いたぞお!石垣アイのファンなんだって?そりゃショックだよなあ!残念だよなあ!」
瀬戸「(震えながら)はい…だいじょぶれす」
部長「でも気にすんなよぉ。世の中の半分は女なんだからさあ!今度いい子紹介してやるよ!あ、でも石垣アイは世界にたった一人しかいないもんなあ!ワハハハ!」
瀬戸「(震えが大きくなる)」
伊勢「(何かをジョッキに入れて)部長、とりあえず、グイッといってください!」
部長「おっ、なんだ。駆けつけ三杯ってか。あ~美味いなあ。ガクッ(気を失う)」
課長「ちょっとお!伊勢君何をしたの!?」
伊勢「リモート講座で学んだ毒殺術の応用です。あ、本当に死んだわけじゃないのでご安心を。調合薬で眠らせただけです」
課長「最近のリモート講座怖いよ」
伊勢「こっちは大丈夫です。瀬戸は?」
課長「瀬戸君、おい、しっかりするんだ!」
瀬戸「ふぁっ、ファァーーーーーー!」
課長「わああなんて声だ!」
伊勢「意識が…持っていかれる…」
店長「すみませんお客さん、動物園のテナガザルみたいな奇声を出すのやめてもらえませんか…ってなんだ、四人とも寝てら…」

課長「…あれえ、なんだここは…。居酒屋で飲んでたはずなのに…。どうなってんだ。赤い空に…黒い大地…荒野じゃないか」
伊勢「課長…」
課長「おお、伊勢君、どこだねここは。我々、一緒に駅前の居酒屋で飲んでたよね?いつの間にか、わけのわからない所に…」
伊勢「課長、あれ…あれを見て下さい…」
課長「女性がいる…あれ…あれは…」
伊勢「石垣アイですよ!ほら、『きままにミュージックショー』の司会の衣装着てる」
課長「ミュージックショーは知らないけどあれは確かに石垣アイだな。本物だ。かわいい」
伊勢「ああっ課長、こっちにも石垣アイが。ウニムロのCMで着てたブルーのスウェットプルパーカを着てポーズ取ってます!」
課長「どういうことだこりゃ。石垣アイが二人、いや、よく見るとあっちにもこっちにも」
伊勢「か、課長…信じがたいことですが、ここは…瀬戸の心の中ですよ。我々二人、あいつの深層心理に取り込まれたんです」
課長「な、なんじゃあそりゃあ!あるわけないだろそんな、世にも奇妙な出来事が!」
伊勢「だってそうとしか考えられません。石垣アイがこんなにたくさんいて、それでいてとてつもなく荒涼としたこの雰囲気。まさに今の瀬戸の心の中です!心の振動が激しすぎて、我々の精神まで巻き込まれたんです」
課長「どうしたらいいんだよ我々は。帰れないの?ええっ?俺週末、奥多摩に行くんだよ」
伊勢「今、渓流釣りなんてどうでもいいでしょ。このままだと、現実の我々は気絶したまま意識が一生戻りませんよ」
課長「そりゃあ困るよ。ねえ、そこのアイたんさん、私らどうやって帰りゃいいですかね」
伊勢「危ない!」
課長「な、何すんだ!いきなり蹴りが!」
伊勢「ドラマ『逮捕めしませ』で演じた女刑事役のハイキックです。瀬戸の心の中だから威力が増幅されてます。首が飛びますよ!」
課長「なんでこんなに凶暴なんだよ」
伊勢「彼の心の中では我々は排除すべき異分子なんですよ。ほら、各方面のアイたんがどんどん向かってくる。逃げましょう!」
課長「ひいっ。美女の群れに追いかけられるのがこんなに恐ろしいとは初めて知った」
伊勢「まずいです、彼方から車の軍団が。あれも彼女の出演CM『オシャレ際立つ新型キュー』ですよ。我々を轢き殺す気です」
課長「そんな可愛いCMの車で殺されたくないよ!どこか、隠れるところはないの?!」
伊勢「あそこに古びた塔がありますね。もうあそこに逃げ込むしかないでしょう」
課長「仕方ない、そこに登って隠れよう。ああ、しんどい。なんでこんな目に」
伊勢「この塔にも見覚えがありますね。おそらくアイたんがまだ無名だった頃に出演した深夜カルトドラマ『真空パンダ小町』に出てきた輪廻の塔です。ちなみに彼女はこのドラマでの演技が認められてスターの第一歩を踏み出しました」
課長「君も大概、詳しいな…。ハアッ。あっ、ああっ、みっ、見てみろ伊勢君。あの、大地を埋め尽くす石垣アイの大群を!」
伊勢「すげえ…キングダムみたいだ…」
課長「恐ろしい…あれが全て我々を抹殺にやって来るんだろう。お終いだ…」
アイ「…あの」
課長「わあっ!ここにもいた!もう駄目だ」
アイ「もしかして、リアルからこの世界にやって来られた方々ですか?」
伊勢「課長、待って下さい、このアイたんはちょっと様子が違います」
アイ「私は瀬戸悠介の中の原初の石垣アイなんです。今はこの塔に幽閉されてますけど」
課長「ええっ。どういうことだねそれは…」
伊勢「そうか…。課長、今外にいる大群は瀬戸の願望が作り出した虚像の石垣アイがほとんどです。けれど最初の出会い、つまり原初体験の石垣アイがこの人なんですよ。だから一番、アイたん本人に近いはずです」
アイ「こんなことになってしまってごめんなさい。いっそ私を殺してください。そうすれば石垣アイに関する記憶の一切が消滅します」
課長「いや殺すなんてそんな、心の中とはいえ…。それに君が全部いなくなったら、瀬戸君は空っぽになって崩壊しちゃわない?他に何もないよこの世界」
伊勢「しかし課長、なぜ彼女はこんな檻の中に閉じ込められているんでしょうか…」
課長「ええっ。そういえば、なんでだろう」
伊勢「これはおそらく、瀬戸が心の中で、一個の人間として存在する石垣アイを拒んだんですよ。自分に都合のいいアイたん像を作って維持するために。そうでしょう?」
アイ「仰る通りです。いつからかこんな風に」
伊勢「ならば、我々の手でこの原初の石垣アイを解き放てばいいんですよ!そうすれば虚像は消えるはず!でも、この頑丈な檻は…」
課長「伊勢君、君は素晴らしい。さあ、リモート講座で学んだピッキング技術でその錠前をこじ開けるんだ!急げ!」
伊勢「そんなものありませんよ。犯罪でしょ」
課長「今まで散々犯罪めいた技術を披露したじゃないか!ああ、最後の最後で詰んだか…」
伊勢「あれ?課長、この鉄格子、意外に軽い」
アイ「おそらく外の世界から来た人はこの世界に影響を与えやすいんだと思います」
伊勢「じゃあ課長、これ力づくでもいけそうですよ。えいっ。開けっ!くそっ!」
課長「私も加勢するぞ。えやあっ!」
アイ「意識を、彼の意識を石垣アイ以外に向けて下さい!そうすれば虚像は弱まります」
課長「何か、何か彼の別の興味はないの?」
伊勢「…焼鳥は好きだって言ってました」
課長「それっ、やきとーり!やきとーり!」
伊勢「以前にガンダムの話で盛り上がったこともあります。あと、ハムスターを昔飼ってて、ずいぶん可愛がってたとか」
課長「やきとり!ガンダム!ハムスター!」
アイ「もう少しです、この世界に別の領域が現れ始めました。ほら、焼き鳥が咲いて、ハムスターがガンダムに乗って飛んでいます」
課長「やきとり!ガンダム!ハムスター!えい!やあ!…外れた。鉄格子が外れたぞ!」
伊勢「…うおっ、まばゆい。彼の原初の石垣アイはこんなに尊い存在だったのか…あっ。アイたんの大群がゆっくりと消えていく…」
アイ「ありがとうございます。虚像が消えて、一人の女優、一人の人間としての石垣アイを彼が受け入れてくれたんだと思います」
課長「ああ、良かった。で、我々は戻れるの?」
アイ「原因だった精神の負荷が無くなりますから、お二人もこのまま、元の世界に戻れると思います。さようなら…。助けてくれて、本当に、ありがとう…ありがとう…」

瀬戸「…課長、あ、課長、伊勢も、目が覚めましたか。部長はまだイビキかいてますけど」
課長「…あれっ、瀬戸君…あ、語尾がまともだ」
瀬戸「今日は本当にご迷惑かけました。推しの結婚がショックだったんですけど、でも寝て起きたら今はなんだかスッキリして、彼女の幸せを願える気分になったんです」
課長「よかったよ…。百万の軍勢を相手に、生き延びた甲斐があった!」
瀬戸「えっ?百万?なんですかそれ?」
店長「あっ。やっと起きたのかあんたら。あのね、もう閉店時間なのよ閉店時間」
課長「おお、店長すまんすまん。ちょっと壮絶な心の荒野を彷徨ってたんだよ」
店長「怒鳴るわ叫ぶわ寝込むわ意味不明だわ…。これ以上迷惑かけたらね、あんたら警察に通報するよ!業務妨害で逮捕だよ!」
伊勢「課長、部長を抱えて退散しましょう。檻には入れられたくないですからね」

(終)

【青乃屋の一言】
2021年の新作落語台本募集に応募した噺です。初応募の去年はネットで数人の方に感想をお聞きして、「固い」「笑いが少ない」というアドバイスをいただきました。なので、とにかく本年は「バカバカしいこと」「最後までテンションが高いこと」を目指して書き上げました。
結果はやはり落選で、後半の展開がずいぶんと強引だったかなと。ただ、今まで書いたことのない趣の噺に出来たのは収穫だったと思います。また頑張ります。