わたしの感情は、わたしではない
ディズニー&ピクサー最新作映画「インサイド・ヘッド2」を観た。
主な舞台はライリーという女の子の頭の中で、登場するのは「ヨロコビ」「カナシミ」「イカリ」「ビビリ」「ムカムカ」といった、擬人化された「感情」たち。
大ざっぱにあらすじを説明すると、ライリーが思春期を迎えるにあたって、新しく仲間入りした「シンパイ」「ハズカシ」「イイナー」「ダリィ」といったより複雑な感情たちに振り回されて、古株の感情たちは右往左往。
頭の中は大パニックで、つまりは思春期特有の複雑な感情の波に翻弄されつつ、大人に近づいていくライリーを描いている。
子ども向けの映画だけど、思春期を通り過ぎてきた大人にこそ刺さるという前評判を耳にして、映画館に足を運んだ。
そもそも、感情ってなんなんだろう。どこから生まれてくるんだろう。
映画を観ながら、素朴な疑問が頭に浮かんだ。
時々、ネガティブな感情に振り回されて、ものごとが正しく見れなくなることがある。
ネガティブな感情なんて、最初からなければ楽に生きられるのに。そんな風に思ってしまう。
だけど映画の中では、カナシミもイカリもシンパイも、どんなネガティブな感情も、ただただライリーの幸せを願って、みんな一生懸命なのだった。
自分の内に巻き起こる感情を冷静に見つめてみると、体調や環境に、すごく影響されていることに気がつく。
例えば生理が明けた途端、頭上を覆っていた雲がぱあっと散っていくようにして、一気に憂鬱が晴れる瞬間がある。
あれ、わたし、何を悩んでいたんだろうと不思議になるくらい気持ちが明るくなって、ああ、あの落ち込みはホルモンバランスのせいなんだと合点がいく。
わたしの感情はわたしに付随するものだけれど、わたしそのものではないことに気がつく。
それが鮮烈なものであるほど、つい振り回されてしまうけど、感情の出どころをしっかりと見つめることで、自分の心や身体が本当に求めているものが見えてくるはず。
ときに暴走しながらも、感情は、わたしを守るために働いている。そう考えてみれば、ネガティブな感情たちも、少しは愛しく思えるかも知れない。
不安もずるさも後悔も、すべてを肯定してくれる映画のラストに救われた気持ちになって、気づけばわたしは泣いていた。