aono.
好きな人の話とは別に自分の価値観を話してるだけの記事をまとめました
好きな人('19 10月〜'22 7月)の話。 決別したのは7/13
社会に対して、言葉に対して、書いた記事をまとめました
大体は死にたい人に向けて書いてます
私は尽くしすぎだと周りの人からよく言われる。自分でも分かっている。尽くしてもらう前に私が尽くしすぎて、相手に余裕が出てしまうんだろう。 余裕を持って落ち着いて待ってたら尽くして貰えるとも思うけど、それが大好き過ぎて落ち着いていられないのだ。好きな人が目の前にいて、自分の目を見て、私のこと考えて話してくれてるんだと想像して、1ミリも心が動かず落ちついていられる人は本当に凄いと思う。尊敬する。ちなみに理解はできない。 私は好きな人に嫌なことをされた時に、相手に聞かず自分の中で都
バイト終わりの18時、缶コーヒーを片手にぷらぷらと歩く。田舎の町ではもう既に閉店する為の作業が始められていて、いつもながらそれを少し寂しく思って、白い息を吐いた。足を止めて信号が青に変わるのを待つ。ふと上を向けばオレンジに染まる空にカラスが飛んでいて、それをなんとなく写真に収める。 LINEを開いて彼とのトーク履歴を開く。 「バイト終わったよ。見て、夕日綺麗☺」 面白みのない文章になんのひねりもない夕日の写真を添付して送信ボタンを押す。彼はなんと返してくるだろうかと想像し
私は自分が好きすぎるのかもしれない。 いつも自分の行動が正しかったんだと肯定したくて、その行動をして良かったことばかりに注目してしまう。変なところでプライドが高かったり、無意識に人を見くびっていたり、自分に期待しすぎていたり。 色んなパターンはあれど、自分に保険をかけたがるし自分に対して可愛がりすぎている。 そのくせやる気の出ないことから目を背けたりするのだ。それを許容している自分も嫌でまた目を背けたくなる。完璧主義も唯一コントロールできる自分さえ完璧でいられないことにイライ
これは、ある意味若いからこそ思う話だと思う。 出会って惹かれて付き合って。 そうなっても、いつか別れが来る。 人と人がそれぞれ違う人生を歩んでいて それぞれの仕事、趣味、考え方を持って新しいことや新しいものをどんどん吸収していく。色々な新しいものをどんどん見つけていく。価値観が変わる。正しいと思うことも、大切にしたいことも、変わっていく。発展途上の人間でまだ人生を諦めていないから、きっとこうやって頑張り続けている。 だったらもう、気変わりとか仕方ない気がしてしまう。浮気
まあもうタイトルの言葉に尽きる、というのは1度置いておいて、11月4日、今日でnoteを開設して2年が経ったらしい。 ''らしい''と他人事のような書き口になってしまうのは開設当時の明白な記憶は残っていないから。記事も書いては消しを繰り返していたしハッシュタグも付けずTwitterに載せてフォロワーさんが見れるようにしていただけで、今のような正統派な使い方はしていなかった。すぐに消してしまうのは自信が無いのと、自分の気持ちを文字に書き起こしてみたかっただけのただの自己満の記
ありがとう。ごめんなさい。 このような消費エネルギーの少ない言葉の有難みは、割と人生の最初の方で体感すると思っている。 自分が何気なくしたことに対して誰かが笑顔でありがとうと伝えてくれたとき、心が温かくなるような嬉しい気持ちになった。誰かと思いがすれ違って、強く怒りを覚えて許せないと思っていたのにたった一言「ごめん」と真剣に伝えてくれたとき、自分の良心が湧き上がってきちんと話し合ってみる気になった。これらはきっと、言葉じゃなくて自分と向き合おうとしてくれた気持ちが嬉しかったん
バイト先の1人の女上司が先日結婚した。名字が変わり、なんとなく雰囲気がいつもより朗らかで明るいような気はする。けれど周りはあまり祝福ムードになっていない。原因はその上司が周りからかなり嫌われているからだと言える。 簡単に言えば、バカ真面目なのだ。 ルールに忠実で細かい事でも指摘されるし、ほとんど笑顔がなく、状況で機嫌が左右するし、何より誰かがミスをしてしまった時の叱り方がかなりキツい。言ってることは正論で間違っていないのだが気を遣ってオブラートに伝えるということをしない為、ド
フォロワーの皆様の中に既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれないがnoteのアイコンを変えた。 noteは約4年前からインストールしていた。初めての投稿は2年ほど前で、確か自分が現在進行形で悩まされている病気のことをひたすら語るような投稿だったと思う。その投稿をする際に前回の伊藤園の焙じ茶のペットボトルのアイコンを設定した。毎日のように飲んでいたから気まぐれで焙じ茶の写真を撮ることもあって、それを使用しただけの単純な話だった。ただ数ヶ月経ってその投稿を消してからはしばらく見る
昨日、前回の好きな人と決別して3ヶ月を迎えた。 我慢の限界を迎え、自分で決別の選択肢を出してしまったあの日から3ヶ月。LINEの返信がきて急いで開いて、縁が切れてしまったと知った時のあの手の震えをまだ鮮明に思い出すことができる。だけど月日は確実に過ぎていて、実際もう3ヶ月も経つのかと思ってしまうのは事実だ。 今日はそんな私が彼とお別れしてからのこの3ヶ月を話したいと思う。 まず、彼とお別れしてからと言っても私はそもそも彼とは1度も交際をしていない。 私たちはネットで出会って
この世には魔法も奇跡も救いもない。 パチンと泡が弾けてしまうように、苦しい現実を感じさせられるこのような瞬間はいつだって苦しかった。 絶望の淵に立たされる度に思い出す。だれかのエッセイを読んで腑に落ちた言葉。逆に言えばこの言葉を思い出す時には、鏡の自分には瞳に光がなく、表情が死んでいる。そんな時には既に深い海の中にいて、地上の声も陽の光も届かない。底で溺れている人間に一切の救済はなく、ただ、心が壊死する音だけが響く世界に閉じ込められてしまう。 それを解決してくれるのは大量
私は時々死にたいと感じる。 希死念慮、とか自殺願望、とか。 その言葉ほど重くはないけれど、自分なんか消えてしまえ、と強く思う。 身辺を冷静に考えてみる。 一人娘で過保護に育てられてきたし、死んだら間違いなく家族は悲しんでくれる。葬儀をするとなれば出席してくれそうな友人も何人かいる。先輩や後輩も、ぽつぽつと。 有難いことだ、心の底から思う。 だからこそ本気で、マンションの屋上から飛び降りようとしたり、キッチンにある包丁で刺そうとしたり、麻縄で首を吊ろうとまでは考えなかった。
相手が何かを言いかけた、近くから私の名前が聞こえた、分からない話をされて説明を求めた。 どうしたの?と聞けば「なんでもない!」。 そっか!と笑顔で返して別の話題へ切り替える。それでも心の中では深く、そして悪い方へぐるぐると考えてしまう。 なんでもないわけがない。 何かありそうな素振りがあったから私は疑問を持って相手に問うたのである。その疑問が解決されないままなのが気になって、答えを考えて気にしてしまうのは私だけではないと信じたい。 私はこのモヤモヤを気にしないという事が大
皆さんはたばこの銘柄である「Marlboro」をご存知だろうか。読み方はマールボロ、通称マルボロ。 赤と白のパッケージである赤マルが有名だが、ここ近年でiQOSのメンソールとミントがやたら人気になったように思える。大手コンビニチェーンで働いていた経験がある私が言うのだからほぼ間違いない。 このマルボロ、まあ死ぬほど種類が多い。 コンビニならではかもしれないがとにかくガラの悪いヤンキーかジジイしかいなかった。そういう奴は番号で言わず、銘柄とミリ数でタバコを指名してくる。コンビ
3月のまだ少し寒さが残る頃、品川で待ち合わせて、そこから彼の運転する車で好きな人とお台場に行ったことがあった。 遠出するのは初めてだったから緊張し過ぎて断片的な記憶しかない。確かハワイアンカフェのテラス席でサンドイッチを食べた。全然喉を通らなくて目一杯色々な話をしながら時間をかけて食べていた。何度も断ったが奢ってくれた。会計が終わって商品が来るのを待っていた時に「ほんと優しいですよね」と呟いたら「それは違うよ」と首を横に振って柔らかく否定された。初めて彼に否定されたからよく覚
飽きた、つまんない。 こんな言葉が私は好きではない。 以前まで好きで没頭していたものに対してどうしてそんな暴力的な言葉で収められてしまうのだろう。どうしておもちゃのように適当に放っていくことで、きちんと片付けた気になってしまうのだろう。 飽きることは悪くない。飽きたものに対して同情しろとも言わない。ただ、全てテキトーにしてしまうのはあまりにも無責任だ。 インターネットは沢山の情報に溢れている。 情報の数だけ利用者に選択肢が増える。 いつからいつまでという時間制限も 1人につ
端的に言えば私と彼は仕事の忙しさですれ違ってしまって決別した。あれから2ヶ月が過ぎた。TwitterとInstagramはブロ解してしまっているけど、Instagramはまだ少し検索して覗いてしまう。LINEはまだブロック出来ていない。Twitterは鍵垢だからもう二度と見れないんだけれど、写真フォルダには彼との写真が1枚も無くなることなく残っている。 そう思いたくないけどまだまだ引きずってしまっているし、まだ後悔も未練も残ったままなのだ。 ねえ。仕事仕事って言うけれど、そ