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青村 音音(アオムラ ネオン)
2019年12月9日 13:30
夏が終わり、秋も暮れに向かって急ぎ足になっていた。 年の瀬を迎える間際、公私ともにクソ忙しいのにマツは挙式を終えた足でハネムーンに旅立っていった。そのマツが、頻繁にFacebook に写真とコメントを海外からアップしている。動画もあって、そのひとつを再生してみた。 マツが任子の後姿を追いかけている。コメントが喘ぎ気味なのは、急ぎ足の彼女に追いつかないからだろう。 待てってば、アツコ。 ん
2019年12月6日 14:46
「ひとつ訊きたいんだけど」 王子で会った翌週、大久保のまた違ったベトナム料理店でぼくは粕賀に切り出した。「なんですか、あらたまって」「この前、人の名前だか名称だか、ドン・ジョンソンみたいなこと言ったよな」 粕賀は投じられた石が湖上で波紋を広げるように、知識の探知機でぼくの問いかけの解答を探している。少女が困ったような唇を突き出した仕草で、答えをたどっている。それを無垢と受け取るかあざとい
2019年12月3日 11:18
駅に向かいがてら「もてたのかと思ったよ」と照れ隠しでおどけて言ってみせた。待ち伏せされたとすれば期待もあるという思いが掠めた気の迷い、うっかり口からこぼれ落ちた。「まさかあ、田所さんとは」と粕賀に渋い顔をされた。 冗談のつもりで言ったはずなのに、粕賀の返答に胸がずきんと痛んだ。冗談だったんだよ、そう自分に言い訳をする。あれは、心の隙間が出現させた感情の逢魔が時のせいなんだと。 しばらくは誰
2019年11月26日 15:07
ネットをサーフすると、フジコ・ハミングも辻井信行も、名だたるピアニストの演奏が聴ける。テレビの駅ピアノ、空港ピアノ以外にも、ストリート・ピアノもあれば、ピアノを設置した音楽室を提供する自治体が存在することも知った。 情報網の波で見つけたいちばんの収穫は、YouTubeにはピアノの先生があふれていると知ったことだった。主にアメリカのサイトではネット・レッスンがポピュラーなのか、クラシックからジャ
2019年11月18日 10:45
「これじゃ全然わからない。矛盾だらけだしぃ」 予感は的中し、起爆スイッチが押されていた。クライアントを前に、粕賀が啖呵を切ってしまった。しかも40代後半の管理職にため口である。「ふざけないでくれたまえ」 憤怒の爆煙から顔を突き出した管理職は、頬を紅潮させている。 クライアントはお金も出すが口も出す。多くのクライアントがそうだ。お金は出すが口は出さない神対応のクライアントは今では噂さえ聞く
2019年11月14日 22:18
開いた『イマジン』には五線譜の上にコードが書かれている。曲の出だしはCで、次はF。Cはドミソ。Fはドファラ。ギターで知った知識だ。それをピアノにあてはめてみる。右手親指でド、同じく人差し指でミ、薬指でソ。指は、それぞれの鍵盤の上にある。あとは3本の指を同時に振り下ろすだけだ。 ジャン。たしかにCの和音。 ドファラのF、ジャン。うん、これこれ、この音。だがこれはまだ曲じゃない。でもそれは、千里
2019年11月11日 18:17
連休が明けると、遅い出社と遅い帰宅の毎日に戻っていった。休みのあいだ何をした記憶も残っていない。テレビを観て消して、コンビニで食いもん買って食って容器を溜めて大きなゴミ袋をふたつ作り、10回眠ったらいつもの仕事に戻っていた。 納期から逆算して組むスケジュール、バッファを確保するのはバグほか不慮の事態に備えてのこと、部署のスタッフ5人を束ねての進捗管理、仕上がったプログラムの確認作業。責任感に背
2019年11月7日 21:49
5月の大型連休がはじまるまで五月晴れならぬ卯月晴れの勤務日がつづいたが、休みに入るととたんに雨。吸い込む空気さえ湿気を帯び、おまけに梅雨寒みたいに気温が下がったせいでベッドから離れられない。 妻がいなくなって3週間ほど過ぎていた。台所を磨く者もいなくなり、残された1本の歯ブラシがこめかみの疼きにのせて哀愁を深めていく。フローリングの床に発生した埃の塊が、日に日に増殖していった。 不思議なこ
2019年11月3日 12:06
「田所さん、お電話。松元さんという男の人から(♪)。よく電話をくれる方ですね」 末席の粕賀がいつもの調子で私語のない職場に能天気な声を響かせる。 カタカタとキーボードでテキストを積み上げては、ツツツーとデリート、打ち直してはゴールに向けて黙々と流れていく時間に無駄口はいらない。とくに今日みたいな日には鬱陶しさに輪がかかる。余計なことは言わんでよろしい。--仕事中悪い。すぐ済むから少しいいか
2019年10月31日 11:13
ふだん外飲みしないぼくが、久しぶりに深酒をした。忘れるための酒ではない。カミュは太陽のせいにしたけれど、月がひときわ地球に接近していたことが関係していたかもしれない。月の引力に潮流が引き上げられたことで、我を譲らぬネオンが重なり、浮き足だった繁華街に蠢く雑多な欲望と駆け引きにぼくはまんまと担がれたのだ。(スーパー・ムーンのせいさ)と路地の奥から声がした。「月の誘惑。狼男だって、満月に導かれて