『令月のピアニスト』5/13 Take the A Train
開いた『イマジン』には五線譜の上にコードが書かれている。曲の出だしはCで、次はF。Cはドミソ。Fはドファラ。ギターで知った知識だ。それをピアノにあてはめてみる。右手親指でド、同じく人差し指でミ、薬指でソ。指は、それぞれの鍵盤の上にある。あとは3本の指を同時に振り下ろすだけだ。
ジャン。たしかにCの和音。
ドファラのF、ジャン。うん、これこれ、この音。だがこれはまだ曲じゃない。でもそれは、千里の道の第一歩のように思えてきた。この一歩は人間としてのぼくにとっては小さいが、今も、ピアノができた時代も、ピアノを弾こうとする人種にとって大きな一歩であることは明らかだ。
楽譜の音符と和音を見比べてみる。ドミソ、ドファラ。ん、合ってる。
『イマジン』は最初は四分音符(?)が1拍ずつつづく。
C、C、C、CM7(C+シ)、F(ドファラ)で4拍伸ばす。それをもういちどくり返す。
左手は、と。オクターブ低いドとソを8分音符(♪)で。半拍ずつド↓ソで1拍を弾き4拍繰り返せばいい。次がFで、さらに低いラとファを8分音符で4拍弾く、か。
右手に添えると。あれ? これって曲になってる。弾けてるじゃん。たどたどしさは当然でも、曲にはなっている。たったこれだけのことなのに体裁が整うとはなんたる驚き。ピアノは秀外恵中(しゅうがいけいちゅう)で門外漢だとばかり思って疑わなかった、その愚かな先入観がぱっかりと割れ砕けた。光明が輪を広げスポットライトとなってピアニストを照らし出す。快哉で、散り散りになった気力が充溢(じゅういつ)してくる。
ノウムはたしかに存在していて、きっとぼくの才能に気づいていたのだ。才能を流出させないために、その番人として現れたに違いない。
だが、もう遅い。ぼくは自分の才能に覚醒した、と気をよくして、最初の4小節を繰り 返し繰り返し弾いた。いい感じ。
ああ、ピアノが弾けるって楽しいと、このとき初めて思った。ちょっと弾けただけなのに、いい大人がこれほど嬉々とするなんて。
これなら、すぐに全体を弾けるようになる、そう信じて疑わなかった。だけど苦難の局面はわずか5小節目にやってきた。あれ、右手に3連符がでてくる。しかも一拍休んでからだ。それに右手と左手のリズムが違うじゃないか。こうか? 鍵盤を追っても、指が思うように曲を奏でない。ちくしょう、これか?
だめだ、違う。
にわかに希望に影が落ち、表情から覇気がしゅうと抜けていくのがわかる。代わりに諦観がひゅうと入り込んできて、沈。喜びも三日天下、時計は2時を指していた。
明日もある、そろそろ休まなければならない。それ以上つづける気力も時間も残されてはいなかった。悔恨は残るが今日はここまで。だいじょうぶ。明日仕事が終わればつづきが弾ける。落ち込みながらも、挫折はささやかなスランプ、次に進むために避けられない轍なのだ、きっと、と自分に言い聞かせる。
夏掛けに身を包みながら進捗を振り返ってみた。両手で指を使って音を奏でることはことのほか大きな喜びをもたらしてくれた。それ以上に驚いたのは、ピアノに向かっていた2時間の時間観である。あっと言う間だった。没我は烏兎怱怱(うとそうそう)。脇目もふらずに打ち込んでいた。目を閉じると、心地のよいフェードアウトが待ち受けていた。
意識は、駅ピアノの鍵盤に向かっている。プログラムを打ち込む早さで指が鍵盤上を行き来する、交差する。この駅はどこだ? ヨーロッパ? 小さな中世の建造物みたいだった。観るともなしに流していたテレビのピアノ番組、その記憶にも見当たらない駅。入鋏は列車ごとに車掌が行うから駅構内に改札は皆無だ。乗客と見送り客を隔てる障害物がないだけで、小さな空間が実にのびやかに感じられた。人はまばらで、がらんとした駅構内の臍に置かれたピアノの鍵盤を音符を追う指が舞う、ステップを踏む、踊り、跳ねる。
人は透けた影、厚みを増しながら幾重にもふくらんでいくのがわかる。人垣を透かして列車が入ってきた。降車する旅人を迎える曲は『A列車で行こう』。来る人を、行く曲で迎える、その矛盾が眩暈を呼んで、時空のレイヤーが離れつながりでたらめに再構築しはじめる。止まらない観客の足はさらに増え、密度のせいで軽い酸欠状態に陥ると、ひとりの女が逃げるように観衆から飛び出していった。
ずきん。胸が痛む。
弾きながら足音を追う。
女は妻だった。顔も手も足も胴体もすべてが黒尽くめの影となった男が発車間際の列車から手を伸ばして妻の手をつかもうとしている。
行くんじゃない、とぼくは演奏しながら妻に叫んでいる。
妻はぼくの声を耳に入れてはくれなかった。
男が列車から妻の手をつかもうと手を伸ばすが届かない。妻が悲壮な顔で叫んでいるが、声を向けた相手はぼくじゃない。影の男にだ。
ずきん。
妻は何と言っている? 雑踏とピアノの音にかき消され何を口にしているのか聞き取れない。男の名か? 男が身を乗り出すと、妻のすがるように伸ばした指先をつかんだ。速度を上げた列車にはためくように妻が連れ去られる。Take the A Train。ぼくは去る妻を皮肉にも快活な曲で送っている。行先はやはりハーレムなのか。
りりりりりりり。
発車音ではなかった。ルーティンな目覚ましのベル。いやな夢が終わり、重い1日のはじまりを予感させた。
この道に“才”があるかどうかのバロメーターだと意を決し。ご判断いただければ幸いです。さて…。