72歳の野球少年
野球の試合でフライを取り損ねてバランスを崩し、倒れて後頭部を強打。意識不明で救急車で運ばれた。
72歳の父の話だ。母からのメールに、兄妹全員ぎょっとした。
父は「野球少年」である。中高は野球部、会社勤めを始めてからはたまに社会人野球に顔を出す程度になったらしいが、30代後半にはまたバットを振り始め、定年後は「還暦野球」なるものに参加し60歳でルーキーを謳歌。70歳を迎え「古希の部」に仲間入りし、今もなお練習だ試合だと忙しい。
「古希」をインターネットで検索してみると、紫色のちゃんちゃんこを着た落ち着きあるご年配の方の画像が出てくるが、我が家の古希ときたらどうだ。磯野家のカツオよろしく、ジャージに運動靴でバットを背負い、グローブと硬球をカゴに入れた自転車で近所のグラウンドへ出かけていく。
ちなみに家の目の前には小学校の塀があり、父はそこでよく壁当てをしていたが、ボールの跳ね返る音がうるさいと近隣の方から苦情が入り、最近禁止になったらしい。しょんぼりしていた。ご近所に怒られる72歳。カツオか。
しかしもちろん加齢とともに体の自由はきかなくなる。「1試合投げただけなのに腕の疲れが取れん」「コーナーを曲がるときに膝を傷めた」「目が見えんなあと思ったら緑内障じゃった」。歳が歳だ、そらそうだろうと思う。
しかし、野球少年はめげない。「傷めるのは余計な力を使っているからだ」「膝に負担のかかる走り方をしているのかもしれん」。図書館でスポーツ科学関連の本を借りてきては仮説を立て自分の体で実験し、体の使い方を変えることで難を克服。「その腕の使い方だと長くは投げられんぞ」とテレビ越しにプロに忠告している。
はたから見ていると危なっかしい。あれやこれやで体を使いこなしているように見えるが、ちょくちょくどこかを傷めていて、過信がさらなる怪我につながるのではないかと心配になる。なのに少しもじっとしていない。
だから母のメールを見た瞬間、「言わんこっちゃない!」と思った。多分、兄妹全員、思った。
幸い、CTの結果は異常なし。脳しんとうだろうということで様子を見ることになり、2、3日は頭痛と首の痛みが残ったようだが、その後は特に何ごともなく72歳はもとの生活に戻っている。ちなみに事故直後、一週間は頭を動かさず安静にしなさいと医者から言われていたのに、2日後にはランニングに出かけていた。止めても聞かないと母がこぼしていた。
大変に心配をかける人である。波平よ、叱ってくれ。
でも私は思う。父よ、そのままであれ。
「生きる」とは、今ここにある自分の体を使って意思をもって活動する、そのくらいシンプルなことなのではないか。父を見ているとそう思う。世間では、生きることの大義を問うたり語られたりすることがままあるが、そんなに小難しいことではないのではないか。
父は今、野球を通じて「生き」ている。変化する体に向き合いそれを駆使する様は、ひたすら真摯に「生きる」を体現しているなあ、と思う。
怪我をされては困る。そばにいる母に心労をかけないでくれとも思う。
それでも父が、いつまでも野球少年でいてくれることを願っている。