見出し画像

高慢と偏見 もっと早く読めばよかった

有名な古典、ということでタイトルはうっすら知っていた本。結婚に関しての恋愛小説と知り、興味をひかれたのは傲慢と善良を読んでから。
傲慢と善良を読み終わって4年?5年?ようやく重い腰を上げてこの週末に手を付けた。

第一印象は

大人の若草物語!!どちらも"女性の幸せ"にフォーカスがおかれている。
ただし、「若草物語」は19世紀後半のアメリカが舞台で、女性の良妻賢母としての役割を肯定する反面、それだけが女性の幸せなのかしら?という疑問も呈する。
対して、「高慢と偏見」は18世紀末から19世紀初頭のイギリスの田舎が舞台で、女性にとっての幸せ=良い結婚を大前提に女性の幸せを描いている。

「高慢と偏見」の時代背景

主人公はベネット家の5人姉妹の次女エリザベス。爵位はないが地主にあたる階級。
この時代、屋敷や土地など女性に相続権はない。ベネット家には5人の姉妹しかいないため、父親の死後土地や屋敷は遠縁の従兄弟に渡されることになってしまう。また、女性が職に就くのも眉をひそめられる時代なので、結婚=就職も兼ねていて、人生を左右する一大重大事。

もし、姉妹が結婚できずに家に残る場合、親が亡くなった後は従兄弟の情けに頼るしかなくなってしまう状況のため一人でも富裕層に嫁いでくれれば安心な母親は、娘へのプレッシャーもなかなか。

何を女性の幸せとしているのか

自分が自分らしくいられること、なのかなと思った。そのための手段としては基本的には結婚。なぜなら嫁がず家にいると居候となり肩身が狭くなるから。
でもその結婚に関しては、親が進める相手が絶対ではなく、自分が自分を出せる相手、自分のことをよくわかっている相手を選んでもいいじゃない!(でもそれはもちろんある程度の同階級内で家柄も問題ない現実的な相手であることを大前提にだけどね!)って言っているように感じた。現代の私からしたら結構理性寄り。

主人公エリザベス以外に複数カップルが出てくるが、理性を重視し条件だけで結婚したのがエリザベスの親友シャーロット。一時の感情で勢い家名を汚しかねない駆け落ちをしかけ結婚したのが妹のリディア。

その障壁となったのが

この作品最後では主人公のエリザベスが幸せな結婚をするが、その道中障害となったのが"高慢と偏見"だった。
紆余曲折の末、自省・成長し、自分が自分らしく、のびのび過ごせ、欠点を補いあえる相手と結婚をしハッピーエンドで終わる。

読み終わって

200年前に書かれたにも関わらず色あせず読みやすく、ページをめくらずにはいられなかった。それは母親や妹などの言動で恥をかいたりしてすべてが理想的ではなかったり、たわいもない会話に納得感のあるフレーズがはいっていたりする描写の丁寧さとどこか共感してしまうセンテンスがあるからかも。

「私はね、仮に明日ジェインがあの人と結婚したとしても、相手の性格を一年間研究してから結婚したとしても、幸せになれる可能性は同じだと思っているの、結婚の幸福なんて全くの運次第だもの。
双方の気質があらかじめ互いによく判っていても、また互いによく似ていても、だから二人の幸福が増すなんてことには決してならなくてよ。
夫婦になってしまえば、いつだって互いに似つかぬ者同士になろうと努めて、双方とも腹立たしい思いをするのが関の山なんだから。
だからね、生涯を共にする人の欠点なんかなるべく知らない方がいいのよ。」

『高慢と偏見』
ジェイン・オースティン / 大島一彦 訳
中央公論新社

物語前半、姉妹のワンシーンですら、そういうところもあるよね。。ってなる会話。
そうだよね、完全に合う人なんていないし、結婚って"どうやってそれに折り合いをつけるか"と"歩み寄り"と結婚継続のための"努力"だよね。
そしてエリザベス20歳でそんなに達観しているの人生経験豊富なのかしら!と思いきや、自分の恋愛ではわたわたしているのもかわいい。
もっと早く読めばよかった!


これからジェイン・オースティンの作品を読み漁る1週間にしようと思った土日でした。
表紙の写真は土日に泊まった奈良ホテル。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集