本を読まない私は小説を書いている。(エッセイ)
noteでこんなことを書くには勇気がいりますが、私が絵本と雑誌以外の本を読むようになったのは「27歳のある時」からです。この日から、というはっきりとした読書開始記念日があります。
私の家族は、私を除いて、大の本好きで構成されています。
主に図書館利用だったので、家に沢山の書物があるわけではありませんでしたが、常に誰かが本を読んでいたり、本を読む雰囲気がありました。
その中で唯一本を読まなかった人間が私です。
事あるごとに母から本を勧められ、本を読むように言われ、言葉を知らないことで家族から笑われていました。当時、私にとってそれは劣等感でもなんでもなく、「だって読めないんだもん」くらいの感想でした。
本を読まなかったからと言って、全く本に触れなかったかと言うとそうではなく。母は学生時代演劇部で、大人になってもプロ・アマの劇団に所属していましたから、朗読が得意でした。なので、私は小学校高学年くらいまで、夜には母の朗読(読み聞かせ)を聞いていました。読んでもらった中で印象深いのは宮尾登美子さんの「蔵」です。
私は本を自力では読みませんでしたが、今で言うオーディオブックのような存在が側にいたので、本の面白さは他力で刷り込まれていったのだと思います。
それでも母に言わせれば、やはり自分で読むことが大事なようで、常々「大人になってからじゃ読めないから…」と脅されていました。今思うと「どゆこと?」ですが、おそらく、小さいうちから読む習慣が無いと、本から離れていくばかりだぞ、ということを言いたかったのでしょう。
私が学生の頃、最後のページまで読み切った本と言えば、「六千人の命のビザ」と「アンネの日記」のみです。これも、学校の読書週間の時間にどうしても読まなくてはいけなかったので、たまたま家にあったこの2冊を何年もかけて読みました。そして確かに、私は大人になってからは一層、本とは無縁になったのです。
これは自分にとっても不思議なことで、なぜ私だけ読めないんだろうと、他人事のように思っていました。その理由を自分なりに考えた答えは、「目と耳にすべての感覚を使っているから」。
おかしな話ですが、視覚的な部分と聴覚的な部分が優位になりすぎていると、当時は本気で思っていました。ファッションにとても興味があり、ヘアデザインの仕事をしたり、好きなバンドを追っかけていたり。目と耳が忙しくて、本を読むために必要な何かが休止しているんだと都合よく思っていました。
それがある日、旅先で彼が持ってきていた小説を何気なく開いて読んでみたら…読めてしまいました。オンギャーです。
そこからは勧められるまま、様々な小説を読みました。すごく集中したときには一ヶ月で30冊読んだ月もあります。(読み終えることに快感を得ていた時期)
母の好きなドストエフスキーを読んで、母と登場人物について語らったときなどは、なかなか感慨深いものがありました。
それからは読んだり読まなかったり。今に関して言うと、note以外ほぼ読んでいません。また読みたいなぁと思いつつ…今は書きたい欲が勝っています。本は時期が来ればまた読める、きっとまた猛烈に読み漁るときがくると信じています。