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読まれない物語 (ショートストーリー)

そこには、唐突に置かれた『読まれない物語』があった。
見るからに影を落としていて、美しい繊細な装丁が、悲しそうに窓からの光を反射している。
手に取ってみると、軽い。
何が書かれているのか気になるが、おそらく読むことが出来ないのだと思った。
『読まれない物語』の悲しみが、手のひらを伝って僕の中に入り込もうとしていた。僕は『読まれない物語』をバッグにしまうと、今日で別れることになるこの部屋と、昨夜から無視を決め込んでじっと動かない彼女にもう一度視線を向けた。
気に入っていた窓からの景色とも別れを告げた。
もう行くよとも、さようならとも言わない僕は、まるでこの部屋とは一切関わりが無かった者のような顔をしていた。

枯れ葉だらけの歩道を歩く。財布にスマートフォン、それに『読まれない物語』だけを持った僕は、これからのことを考えてはいない。
それでも、この枯れ葉の道を進んだ先の五叉路で、どの道に進むのかくらいは決めなくてはならない。
「中身がないんだって」
僕は独り言を言った。本当は生地の薄いトートバッグに押し込んだ『読まれない物語』に向かって言っているのだった。
「中身がなくて退屈で」
あと30メートルも歩けば道がわかれる。
「一緒にいると気が滅入るって」
五叉路を斜め右に渡ると、美味しそうな揚げ物屋がコロッケを売っている。
「本当は、彼女に伝えたいことはたくさんあったんだよ」
お腹が空いているわけでもないのに、僕はコロッケの看板を見ながら歩いている。
「だけど、順序ってものがあるじゃないか」
段々と憤ってきて、いらだちは足音を大きくした。
「待ってくれないんだ。いつだって。自分のペースでまくしたてるだけ。僕にも心地よい“流れ”があるなんてことは、夢にも思わない」
コロッケの看板の下について軽く中を除くと“準備中”と書かれていた。
「何度も彼女には『君のことが大切なんだ』と伝えていたのに」
僕は自分の言葉に嘘があることに気がついていた。だけど、それを認める勇気がないこともわかっている。それから、今更どうこうなるものでもないということも。

「『読まれない』って、どういう気持ち?」
僕は明らかに話しかけていた。『読まれない物語』が返事なんてするわけないのに。
「読まれないから消えたの?」
僕はバッグからそれを取り出して、また手のひらにのせた。
なんとも悲しい気持ちが入り込んでくる。『読まれない物語』の悲しみは、もしかしたら今の僕と同じなのかもしれない。
「もう少し一緒にいようか」
僕は思い切って『読まれない物語』を開いた。
真っ白なそれは眩しかった。書かれていない物語は、かつての明るさだけを残し、誰にも見えないのにそこにある。
「まだ残ってる」
僕は涙で目の前が霞んだけれど、もう一度よく見てみる。
「ああ、そうか」
『読まれない物語』を閉じて手のひらに乗せた。最初は感じられなかった重みがあった。
「ちゃんとある。感じることが大切なんだ」
僕は歩き出す。『読まれない物語』が一緒でも一緒でなくても、もう構わなかった。



[完]


#ショートストーリー
#内なる対話








山根あきらさんがこの物語を英語にしてくださいました。
青豆ノノ小説初の英語版です。
山根さん、ありがとうございます°・*:.。.☆

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