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掌編小説 | 風車体幹キープメソッド

 風車かざぐるまを回してはいけない。その一点だけに意識を集中させた。
 初めて習うメソッドとはいえ、わたしにはそこそこの経験があった。瞑想、ヨガ、セルフ整体、骨ストレッチ。そういう類のものは既に一周している。それなのにまた新たなメソッドに食らいつく。結局のところ、わたしは何も習得していないし、何にも満足出来ていないのだ。

 今日わたしが受講している『風車かざぐるま体幹キープメソッド』では、一人に一本ずつ配られる風車かざぐるまを、顔のすぐ前に構える。怪しいメソッドだとは思ったが、なんにせよ試してみたい質なのだ。
 「風車かざぐるまを絶対に回していけません。ただそれだけです。息を吸うとき、吐くとき、あなた達の風車かざぐるまは微動だにしない」
 トレーナーであり、このメソッドの考案者である愛子は、ヘッドセットマイクの前に風車かざぐるまを取り付けて、クラスを歩きながら受講者に呼びかけている。もちろん彼女の風車かざぐるまは歩くときの微風にも、彼女が話すときに出し入れされる呼吸の風圧にも耐え、静止している。
 「よーく耳をすませて、自分の呼吸に集中しましょう。静かに吸って、静かに長く吐ききることで、あなたの体幹は鍛えられます」
 愛子に言われて、わたしは耳をすます。十五人の受講者の小さな小さな呼吸音が聞こえる以外、部屋の中は無音だった。

 「ぎゅるるる」
 そのとき、静かな部屋に誰かの腹の音が響いた。突然のことに、受講者に動揺が広がる。
 「お静かに。屈しない」
 愛子がざわつくクラスの雰囲気に厳しい口調で釘を刺す。
 〝屈しない〟? 
 わたしは風車かざぐるまに全ての意識を集中し直す。
 〝屈しないって、いったい何に? 〟
 風車かざぐるまを見つめて呼吸に集中しようとしても、愛子の言葉が脳内を駆け巡る。いけない、笑っちゃだめ。腹に力を入れる。震える体と心を切り離すイメージを作り、必死に堪えた。
 わたしは目を瞑った。愛子がそろりそろりと部屋を歩き回る姿を見るとつい思い出してしまうのだ。
 〝屈しない〟
 忘れろ。わたしはヨガの瞑想を思い出す。だいたいこういうときは何度か深呼吸をくりかえすことで平常心に戻れるのだが、風車が回ってしまうから深呼吸はできない。
 「ふっ…ふ」
 どうしても笑いが漏れる。堪えろ。風車かざぐるまを持っていない方の手で履いているレギンスごと自分の腿を強く握った。
 そういえば、どうしてわたしたちはレギンスを履いているのだろう。会議室のような部屋でパイプ椅子に座り、音も立てずに風車かざぐるまを顔の前にかざしているだけなのに、どうして申し込んだチラシには「動きやすい服装(スポーツレギンスなど)でご参加ください」などと記してあったのだろうか。
 薄く目を開けて愛子を見た。派手なブラトップに同系色のレギンスを履いて、そろりそろりと室内を歩き回っている。よく見ると大した美ボディでもない。そこに気づいた瞬間、血の気が引くようにやる気が失せていった。意識を失いそうになったがどうにか耐えた。
 〝受講費、四千円〟
 そう、支払い済みだ。レッスンが始まって三十分、失望するにはまだ早い。きっとこれからがすごいのだ。 
 「みんな、いい感じに慣れてきましたね。グレート」
 愛子が風車かざぐるまの横で親指を立て、グッドサインを作った。それを見て、わたしの前に座っている女性が細かく震え始めた。笑っているのか、それとも体幹トレーニングの効果か。
 
 「それでは次のレッスンに移りましょう」
 愛子は立ち上がるよう、手を上下させてわたしたちに指示した。次に、よく見てと言わんばかりに自分の顔の前にある風車かざぐるまを指差した。そうして、静かに語り始めた。
 「わたしの両親は、わたしが幼い頃に離婚しました。母はわたしを連れて実家に戻るも、しばらくすると新しい男を作り、やがて帰ってこなくなりました。そのため、わたしは祖父母の養子となり、大切に育てられました」
 そこまで、風車かざぐるまを少しも動かさずに話しきった愛子は、一度言葉を切ると、クラス全体を見渡した。
 「一列になりましょう」
 愛子の話の続きが気になったが、わたしたちは指示通り、そろりそろりと歩いて列を作った。
 「できれば円になって」
 一列になったわたしたちは、またもそろりそろりと歩きながら円を作った。
 「では、右回りでいきましょう。一文で構いません。順番にお一人ずつ、わたしの話の続きを繋いでいってください」
 え、と誰かが言った。愛子の隣にいた若い女性は明らかに動揺していた。そんな女性に対し、愛子は容赦なく言った。
 「あなたからどうぞ。くれぐれも風車かざぐるまを回さないで」
 そう言われた女性は、極度に浅い呼吸を繰り返しながら、どうにか心を落ち着けると、とても小さな声で言った。
 「ある朝目覚めると、祖父が言いました」
 女性が言い終わると、部屋全体が静まり返った。
 愛子が頷き、次の女性にバトンが渡る。
 「『おーい、ばあさん、今日の朝飯はなんだ? 』」
 女性が言い終わるや否や、小さく舌打ちが聞こえた。愛子は、首を振りながら言う。
 「屈しない。次の方、続けて」
 「すると祖母は、『今日は休みだから、コナダ珈琲にでも行きましょうか』と言いました」
 ほう、と愛子が感嘆して、また深く頷く。
 「『愛子も行きたい』とわたしは言いました」
 「すると祖父母は口を揃えて言いました」
 「『愛子、あんたはここでお留守番だよ』」
 「『どうして? 愛子も行きたいよ』」
 「懇願するわたしに、祖父は厳しい顔つきになり言いました」
 「『調子に乗るな、愛子。誰のお陰で生活できていると思っているんだ。お前は……』」
 話が乗ってきてしまった女性を、その左側にいた女性が肩を叩いて止めた。
 愛子は目を瞑って頷き、次を促した。
 「祖母は祖父の話を遮ると言いました」
 「『愛子、あんたのことは可哀想と思うがね、わたしたちにも二人の時間が必要なのさ』」
 「祖母はわたしに目配せをした」
 「『いい子にしていたらね、お土産を買ってきてあげるよ』そう言って祖父母は出かけて行きました」
 「わたしは一人、寂しい部屋の中で待ちました」 
    十四人目の女性が話し終わり、いよいよわたしの番がきてしまった。最後の一人であるわたしは、話をどう締めくくればいいのか悩んで、ほとんどパニックに陥っていた。風車かざぐるまの棒を握る手に大汗をかき、もう少しで風車かざぐるまを落としてしまいそうだった。愛子が深く頷いている。わたしは話し出さなければならなかった。
 心臓が飛び出しそうなくらいにはねている。どうにか落ち着きたかったが、緊張で体が震えた。
 〝屈しない〟
 そのとき、愛子の言葉が頭の中に蘇った。今は目を瞑り、静かにわたしが語りだすのを待っている愛子の声が、わたしの中で確かに響いた。
 〝屈しない〟
 そうだ。この緊張や、スベるかもしれないという恐怖、目に見えない圧に屈してなるものか。
 わたしは浅い呼吸を繰り返し、下腹部に力を入れてかかとで床を踏みしめた。背骨一本一本を積み上げるようにして姿勢を正すと、不思議と体に軸を感じることができた。
 〝これだ〟
 わたしは緊張の中、うっすら見えてきたものに感動していた。
 〝このメソッドは本物かもしれない〟
 わたしはようやく閉じていた目を開けて、風車かざぐるまを回さないよう、注意しながら話した。
 「そうして、その夜、帰宅した祖父母から渡された一本の風車かざぐるまは、わたしの人生を大きく変えることになったのでした」
 わたしが話終えると、嘘のように部屋の中は静かだった。わたしの心臓の音だけが響いている気がして、相変わらずわたしは全身に汗をかいていた。
 愛子は十五人が紡いだ話に何を思ったのだろう。彼女の表情からその感情の一切を読み取ることができないまま時は過ぎていった。
 「ありがとう、みなさん」
 しばらくして、ようやく愛子は顔を上げた。明らかに疲れ切っている。わたしも、今にも倒れそうだった。
 「そういうことです」
 愛子が慈愛に満ちた表情を見せると、なぜか心の底からイラッとした。
 「はい、じゃあ、最後は解放です! 」
 そう言うと、愛子はおもいっきり風車かざぐるまに向けて息を吹きかけた。
 愛子は手のひらを上下に動かし、わたしたちにもやるように促す。
 戸惑いながら、ひとりふたりと風車かざぐるまを回していった。あっという間に全員の風車かざぐるまが回り、その爽快感から笑い始める人までいた。円になっていたわたしたちは、愛子の指示で、時計回りに歩きながら風車かざぐるまを回した。
みんな夢中になって息を吹きかけ、笑い、心を解放していった。

    それはそれは麗らかな、春の午後だった。風車かざぐるま体幹キープメソッドを受講し終えて何年経っても、わたしはあの日感じた体の軸を忘れることはなかった。
 
    あれから10年。愛子先生のメソッドを引き継いだわたしは、今日も受講者一人一人に風車かざぐるまを手渡しながら微笑んでいる。
 





[完]


#シロクマ文芸部
#掌編小説


続編、のようなもの↓


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