微生物を飼い慣らす。 (エッセイ)
苦しい思いは、都度、清算しながら生きていきたい。
そう思うようになったのは、とある介護施設へ研修に行って感じたことがきっかけです。
ホームヘルパー2級(当時の名称)の資格を取るための必須事項だった施設研修。
ここでは、職員の手伝いをしながら丸一日過ごします。
当時私は、19歳か20歳。言葉を話せる(コミニュケーションを取れる)施設利用者さんには孫のようだと、研修期間はそこにいるだけで喜んでもらえました。
特に何か任されるわけではなく、レクリエーションに参加したり、話し相手になったり、暴れる人をなだめたりが主な役どころでした。
利用者さん数人のおしゃべりに加わったときには、聞き役に徹しながら、そこにいる利用者さん一人一人の似顔絵を描きました。これはすごく喜んでいただけて、その場を和ませることができました。
少し打ち解けると、皆それぞれ思ってることを率直に語り始めます。なかなか際どい話まで…。
少々話がくどくなることはあっても、意思表示があり、冗談めいたことも言えるくらいに過ごせる方々でした。
夕方には、別のフロアに移動してまた利用者さんと過ごしました。
そこは、10秒に一回くらいの頻度で同じ話をする方々が大勢いるフロアで、大変賑やかです。
初めは大真面目に毎回返事をしていましたが、これでは体力が持たないと思い、職員の対応を真似て適度に流すようにしました。
『同じ話だから』ということもありましたが、むしろ話の内容に対して“まともに聞いていては身が持たない”と思いました。
繰り返す話の内容のほとんどが、過去の出来事への恨みつらみ。解決できなかった苦しみに対する嘆きだったのです。
私が施設研修を受けたのは二日間のみでした。介護職に付くために研修を受けていたわけでは無いので、その後そういった施設で多くの利用者さんに接したわけでも無く、偏見に当たるかもしれませんが、当時若かった私が痛烈に思ったのは「こうはなりたくない」でした。
大変失礼なことを言っている自覚があります。おそらく利用者さんご本人が一番本意で無いでしょうが、当時素直に思ったことです。
恨み、悲しみ、後悔の念が肥大して、人生の後半を涙を流しながらそのことだけに苦しみ続けるのは嫌だな、と思いました。
その思いだけに執着したくないということです。
恨みつらみも、今の私にとっては創作のヒントになったり、逆手に取って力になることもあります。そうは言っても、何にもならず、沈殿していったものも確かにあります。そういうものは、謎の微生物を飼い慣らして、時間をかけて分解してもらうことにしています。時間は大事。
時間と共に消化していく術や知識を身につける。そして実務にあたる微生物に、ささやかな援軍を送り続ける。こうして、嫌だった思いの消化を早めていきたいと、常に思っているところです。
※微生物とは何、ということへの質問はお受けできません。
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