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掌編小説 | クラリネット

 見てるよねえ。やっぱり。ほら、見てる。目が合うもの。嫌だあ。あなたの目って。血走っていて。今すぐにでも目薬を差したくなっちゃうよお? わたし。
 子どもの目。そう、子どもの目を思い出して。濁りのない薄く青みがかった白目。大きな黒目は艶々光って、嘘みたいに澄んでいる。どうせなら、そういう目にみつめられたいねえ。だけど、その悲しげな眼差しは捨てがたいなあ。なんとも言えない悲壮感がある。繊細な人なのかなあ? 
 ねえ。あなたって。一言も話さないよね。

 まただ。見てる。今日は五号車に乗ってみたけど、どこに乗っても無駄なんだねえ。どうしてか、あの人にはわかってしまうの。決して、あとを付けられているわけではないのよ。だって。あの人のほうが、いつだってわたしより先に乗っているんだから。

 ちょっと待って。ちょっと待って。ねえ、そんなところでさあ。あははは。もうやだ。気づかなかったよお。あー、びっくりしたあ。だけどさあ、どんなところにいても、あなたの目ってわかるもんだねえ。一度見たら忘れられないもん。それにしても、まさかそんなところにいるなんてさあ、思わないよ? ふつう。
 ねえ、そこ。涼しそうね? うふふふふ。

「最近どうなの? 例の〝電車の人〟とは」
「そうねえ、別に、どうかなるような関係ではないのよお。ただ、じっと見られているの。どうやら気に入られちゃったみたい。わたし、ああいうタイプに結構好かれてしまうからさあ」

 あら、今日はガラス窓ごしなのね。夕日とあなたを同時に見られるなんて、なかなか貴重だわねえ。あなたと出会ってからいろんな見つめられ方されて、まったく、年甲斐もなくどきどきしてしまうわよ。ふふっ。
 ねえ、どうしてそんなにわたしだけを見るの? わたし、そんなに美人じゃないでしょう? 見飽きないのかなあ。ああ、ブスは見飽きないって、そういうこと? いやね、あなたも人が悪いわあ。

 ねえ、今日はあなたに残念なお知らせ。怒らないでよお? わたしも少しは残念なんだから。わたし、職場が変わるのよ。だから、あなたとはもう会えないかもしれない。寂しいといえば寂しいわねえ。こんなに毎日誰かから見つめられたこと、ないもの。これからはあなたからの視線がないから張り合いがないわね。気を抜いて、また太ってしまうかも。なんてね。ねえ、聞いてるう? あなたさあ、たまには瞬きしたほうがいいわよお? そんなに目を見開いて。まるで何かに怒っているみたいじゃない。
 わたしはあなたに、ちゃあんと伝えましたからね。あと三日よ? わたしがこの電車に乗るのは、あと、三日なの。

 肉が焼ける匂い、嗅いだことある? 暑い暑い、真夏よお? 線路がどれほどの熱を持つか。あなた、想像できてた?

 あと二日。今日もそこにいるのね。わたしを真上から見下ろしてる。そこは涼しいものねえ。いい場所を見つけたと思うわよお? おまけに誰からも見つかることがない。
ねえ。わたし、忘れてないでしょう? あなたのこと。あなたがわたしだけに見せた、悲しそうな最期の顔も、わたし、ずっと、忘れてないんだよお?

 わたしね、未だに先頭車両には乗れないの。だってさあ、どうしたって思い出すもの。電車が緊急停車して騒然とする、あの、肌が粟立つ感じ。どうしてか、わたしはそういう日に当たってしまうんだよねえ。だから、同僚からは、一緒に業務に当たりたくないって言われてたわ。あははは。

 だけどさ、結局、回収するのはわたしの役目でしょう? 何度か経験した後には、吐き気のするあの匂いにも慣れてしまっていたわよ。それどころか、どれだけ早く回収できるかってところで、燃えていたわ。人が亡くなっているのに、警察よりも先に処理するのよお? すごいわよね。ビニール袋にばんばん詰めていくの。だってさ、遅延の損害ってすごいんだからあ。
 それでね、今日があなたとは最後だから、あの日のこと、ちょっとだけ教えてあげる。

 あなたはねえ、わたしが回収した中では、一番、臭くなかったのよお? 若かったからかなあ。もちろん、切なかったよお? だってわたしには、あなたよりひとつ年若い娘がいるんだもん。
 それにしても、相当きつかったんだねえ、あの部活。娘が翌年入部して、弱音を吐いたもの。うちの娘、優秀なんだよお? その娘が弱音吐くらいだもん。よっぽどよお。あなた、頑張ったわよお。それだけはあなたに伝えようと思ったんだあ。
 あなたの、クラリネット。きれいに残ったのよ。あなた自身は……あんなになっちゃったけど。あなた、最後に投げたんだよね? 大事だったんだよねえ? 守りたかったんだよねえ? だから、わたしに訴えたんだよねえ?「わたしのクラリネットを守って」って。
 どう? 違う? わたしはそう受け取ったけどなあ。だから、今も大事に使わせてもらってる。そうそう、今度ソロパートがあるんだって。娘のこと、ちゃあんと見守ってよお? あなたのクラリネットで、有終の美を飾るからさあ。あはははははははは。
 そんな怖い顔してもだめ。死んだら文句言えないでしょう? そうそう。あなたのご両親、相当大変だったみたいよお? 飛び込みなんて、するもんじゃあないわねえ。まあ、死人に口な……ぅあ!!

 ちょっと、なあにい? いまの。もしかして人身事故お? いやねえ、最後の日に。引き寄せちゃったかしら。ふふふ。え、なに。あなたも笑ってんのお? あ、わかった。仲間ができて喜んでるんだあ。笑うとなかなかかわいいじゃない? あなたも。
 いやだなあ、もうすぐ駅ってところで。今日は部活帰りの娘と待ち合わせしているのにい。これ、どれくらい止まるのかしらねえ。
 それにしても今日も暑いねえ。これじゃあ仏さんも一瞬でウェルダンだあ。

「ヤバ、また女子高生。〇〇高校、吹奏楽部だって……こっわ」






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