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日記|雨降って痔固まる

雨です。
最近は傘を持っていないタイミングで雨に降られることが続いて、濡れることにも慣れてしまいました。

今日のタイトルに意味は無いです。
一文字違うだけで、雨の印象が恐ろしく健康を害するもののように感じるなぁと思っただけです。

☂️☂️☂️

このところ、no+eにはあまり頻繁に記事をあげなくなりましたが、相変わらず書いています。
今は二万字弱の短編を寝かせていて、推敲の時を待つ段階です。磨く楽しさを知ってしまうと、この寝かせている時間がとても愛おしいです。そしてその間に他のものを書きつつ、なんやかや、創作にまつわることを考えています。

そういえば少し前に、知人から「前はもっと精神的なことにフォーカスして書いていたよね」と言われて、そうだったかなと振り返りました。

創作を始めてからのこの一年半はいろんなことを試しているのでそういう印象を持たれるのかもしれません。元々飽き性ということもあり、様々手を出したくなってしまう性分でもあります。だけど一番身近な読者から言われると、久しぶりにどっぷり精神の世界(ナニソレ)に沈んでいくようなものを書いてみたい気持ちになり、先日短編を書きました。

書き終えてすぐ、「これは官能小説だ」と思ったのですが、数日あけて読んでみると決してそんなことはなく。しっかり精神の世界(ナニソレ)に沈んでおりました。
この独りよがりなものをいかに読み手に伝わるものに変えるかというところがこれからの楽しみです。

私は「文学的」(定義は個々にあり、説明はうまくできませんが)、というものが正直なところよくわかりません。感覚的に「良いものは良い」「わからないものはわからん」というだけの判断で文章を感じています。だから、いくら名作で文学的で面白いと言われる本が並んでいても初めに挫折すると距離を取ってしまいます。

大抵の人が読んでいて、個人の価値観に影響を与えているという◯◯が書いた△△だって、私は何度挑戦しても始めの数ページしか読めません。なぜなのかわかりません。ページ数も決して多くないのに。もはや作品側から拒否されているとしか思えません……。
この△△の部分を言ってしまうと引かれてしまうので絶対言いません。

小説を書き始めてから、このことについてコンプレックスを抱くほどでしたが、よく考えたら海外の作家たちは◯◯の△△は読んでいないだろうし、読んでいないからと言って人間失格なわけでもないですからね……。と、開き直ることにしました。


そういえば、過去に青豆の実母は太宰治の朗読
オーディションに受かって舞台に立ったことがありました。#どうでもいいか


だけどno+eでは、ずっと読ませていただいている方の作品が少々難解でも自分から食らいついて読んでいるな、と気がつきました。文字数が少ないから読めるということもありますが、この方の作品だから理解したいという気持ちを消せないです。そしてそういう読み方をすることがわりと好きです。

裏を返せばその逆のパターンもあるということになりますが、常々お互い様でしょう。




明日、短い音声記事を出します。初です。
音声記事は投稿しないと決めていたのですが考えを変えました。

一度参加してみたかったピリカグランプリにも応募できて、近々主催側に回って企画もやる、となるとno+eでやったことがないのは音声記事だけなのです。
これを投稿し終われば、no+eでできることのほとんどはやれた気がします。

明日、お昼くらいに投稿します。




#日記




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