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星熊南巫(我儘ラキア)が推しになった焦熱の日の話-僕たちは明日を恐れない-
「我儘ラキア」
ロック、HIPHOP、ハードコアを主体とした本格的な楽曲とパフォーマンスで、今もっとも勢いのある4人組アイドルグループである。突然だがそのメンバーであり、自分の推しメンの「星熊南巫」について、自分から見た彼女の物語を語ろうと思う。
我儘ラキアの星熊南巫です
— 星熊南巫(我儘ラキア) (@rakia_minami) May 1, 2020
今回は 私の大好きなバンド
Bring Me The Horizon の
「medicine」という曲を
アコースティックアレンジで歌いました
日本でもCMソングになっている曲です
是非チェックしてみてください!#bmth #bringmethehorizon #stayhome pic.twitter.com/24mKX518vz
実を言うとこのテキストの大半は3年前に書いてそのままにしていた。なぜ今公開するのか?それは今の彼女がとてもとても眩しい存在となったから。そのこととどう関係があるのかは読めばわかると思う。
「昔は良かった」ということが主旨の記事ではないし、「最高の現在」に繋げる物語としたつもりだ。
とはいえ昔話はあまり歓迎されない世界であることはよくわかっている。溜め込んできた思いと観てきた風景をどこかに残しておきたい。そんな個人的な想いによるものでもある。
だからこれは「あくまで一方的な解釈」による物語だ。実際の本人の想いの代弁ではないことをあらかじめお断りしておく。
また、昔のTwitterのスクショやリンクなども張らない。無断転載的な意味合いもあるが、過去の姿を過度にほじくり返すのは本意ではないからだ。
見出しの写真は代官山UNITのワンマンが撮可だったので自分で撮ったもの、これだけ過去写真だがごめんなさい。いずれにせよ全て権利関係に抵触しない形で素材の掲出は行っている。
なお途中に貼ってあるAppleMusicの楽曲リンクを再生するとより雰囲気を味わいながら読める、かもしれません。
以下本文です。
●「どうしようもない地下アイドル」という身も蓋もない紹介から全ては始まった。
2017年5月某日。僕は一路、新幹線で大阪に向かっていた。目的は仕事である。でも大した仕事じゃない。軽い打ち合わせが一件だ。本当の目的は別にあった。そのためにスケジュールをあわせてきた。そう、すべては星熊南巫に出逢うために。
「我儘ラキア」という大阪を拠点にしたグループのことは友人から教わった。特段、布教されたとかではない。日々のTLにその名がポツポツ呟かれていたくらいである。
正式には「我儘ラキア」。ラキアという言葉には特に意味はないらしい。「ラキアっていう単語を聞いた時に真っ先に浮かぶものが我儘ラキアであってほしかったので造語として作った」。なるほど?
曲調はラウドロック系なのもわかった。メンバーの名前は…なんか初見ではどう読むのかよくわからなかった。ほしくまみな…?うみはね?なんだ?
ある日、彼と飲んだ時に訪ねた。「あの我儘ラキアってそんないいんですか?」彼は即答で答えた。
「どうしようもない地下アイドルですよ?」
テキストだとストレートだが実際のニュアンスは違う。これはオタク特有の予防線のようなものだ。当時は飛ぶ鳥落とす勢いのBiSHが主現場ではあったから、そういうテンションで来た人間に大事な場所のことを勝手に失望されたくない、というある種の愛から出た言葉だと思う。オタクそういうとこある。
そう言いながらも彼はチェキ帳を広げた。かなりの量があった。衣装だけじゃなくてなんかコスプレをしたチェキもたくさんあった。それでいて彼はついぞ良さを具体的に語ったりはしなかったがその様子はなんだか楽しそうだった。
家に帰ったあと、「星熊南巫」と「海羽凜」、2人のメンバーをフォローした。
「ライブに魂ぶつけて歌ってます。」
「ライブで伝えきれなかったことや目を覆うようなゆるい生活を巧妙に綴ります。ニャアアンアーーー!!!ウワァア!!あゝ〜!!」
なんだこいつ…である。
当時の星熊南巫のプロフだ。手元の記録は残ってないが最初にフォローした時には「自分の思想云々」ともあった気がする。アイドルというよりはもう少しアーティスト然としてるのかなとも思った。
ただ「ライブに魂ぶつけて歌ってます。」その一文はなんか刺さった。ヘッダーには確かにすごい顔で咆哮するかのように歌う写真が掲出されていた。
Twitterには緩い日常や奇行の数々がTwされて結構面白かったのも確かだ。独特の言語感覚の持ち主。そして日々のライブがうまくいったりいかなかったりするのを反省したり悔しがったりしていた。
その日のライブを自分の言葉で反省したり振り返ったりするのって難しい。アイドルは基本的に与えられた楽曲と振り付けの通りにステージで再現する存在。でも彼女はもうすこし、自分なりのライブみたいなものを自分で考えて、率直に話すタイプなんだなと思った。
金を払った客からしたら「今日はうまくいかなかった」なんて本当は言うべきじゃない。言うべきじゃないけど嘘がつけない、そんな人なんだと思った。個性的なグループが増えてきたアイドル界の中でもさらに一風変わった、むちゃくちゃだけど意外に地頭が良くてまっすぐな人。
本人に一度も会ったこともないのにそんな率直なTwの数々には不思議な親近感がずっとあった。
ラキアのそれまでの歴史は決して順調だったわけではない。メンバーが一人脱退して二人体制になって、その相棒も肋骨にヒビが入って休業して星熊南巫が一人ぼっちになった時間もあった。
「ラキアは終わった」、そんな心ない風評や酷い言葉も随分言われてずっと悔し涙を流してきたと。
けどもそんなバックストーリーは今でこそ感情移入して想像ができるものだけど、当時の自分にはそれは単なるテキスト情報に過ぎなかった。その時の彼女は会ったことも、この先に会えるかどうかもわからない遠くのアイドルでしかなかったから。
自分は土日が基本的に動けないこともあり、その頃のラキアは今ほど平日に東京に出てくることはなかったこともあって、観る機会がいつくるかなんて全くわからなかった。
そんな人間のそばに彼女はずっといた。もちろん正確じゃあない、そんな気にさせられていたんだ、なぜか。なんとなく価値観や言いたいことがすっと飲み込める、文字情報ではあるけれど波長があっていたんだろう。人間的に惹かれるものはずっとあった。
そんな日々が続いたある日、ふと大阪に行く機会を得たので思い立って「星熊ちゃんに会いに行こう」となったわけである。
●「ライブに魂ぶつけて歌ってます」-のたうつような初ライブ@心斎橋VARON-
大阪、心斎橋VARON。いわずと知れた我儘ラキアのホームである。
平日の夜の対バンライブ。客入りは一向に伸びない。入れ替わりグループが出てくるけどもずっとスカスカだった。隣のオタクまで2mずつくらいあった。完璧なソーシャルディスタンスである。落ちサビで出て行くオタクをライブ中にその場で話し合って相談して決めて出ていく一団も。
アイドルよりもオタクの挙動が一人一人鮮明すぎて気になりすぎる。「ファイヤー!タイガー!」MIXもオーディエンスの声じゃない、一人の特定のオタクの声だ。細い体を痙攣させるように拳を振る個人の姿は変な鏡を見させられてるようで気恥ずかしい気持ちもした。
申し訳ないけれど、それは自分が見てきたライブの中で、はじめての密度だった。
大丈夫なのかこれ。ついにラキアの出番。
「Beginning of the story」とともに2人が現れ、ついに開演する。今でこそ聴くだけで「うおおお」ってなるアレだが、もちろんそんなエモはその時にはない。
ファー付きフードがついたちょっと冬支度な衣装。もう5月なのに。
ライブが始まる。のっけから全開だ。
Chester Benningtonを思わせるロックなアクトをガラガラの箱でのたうつように、足掻くようにぶつけまくる女。それが初めてみた星熊南巫のライブだった。
振り付けもおかまいなしに煽り、なぜかブーツを脱ぎ捨て、わずかな客を湧かそうとし続ける星熊南巫。一方で終始、真顔で振り付けをクールにこなす海羽凜。
デュオグループとしてはあまりにもアンバランスだった。2人を包む空気の色が違って見えるほどに。ビルの谷間に吹くつむじ風のような星熊、アルプスの高原を吹く木枯らしのような海羽。絶妙に褒めきれない比喩が浮かぶ空気の差。
今思えば、決して大きなステージじゃない。でも記憶の中のそれは魚眼レンズで撮ったみたいにひどく広大だ。2人の距離もとてつもなく離れて感じた。
「ゼッタイカクメイこれで間違いないから」
本当かよ。そう思ったけれど嘘くさくは聞こえなかった。自分に言い聞かせて歌ってるようだった。
なんでもいいから信じ込んでやらなきゃやってられないだろ?と言わんばかりに。
そう、信じ込んでやる。今でも彼女のライブはずっとそうだ。いつかこんな風になりたいんだ!そんな彼女の頭の中にあるビジョンが流れ込んでくるようなステージ。そのビジョンの中で確かに星熊南巫は目の前の大勢の客に向かって歌っていた。その時にはそれは存在しなかったけれど。
けれど最後まで彼女は手を抜くことはなかった。全力で歌い切り、それでいてなんか不満そうな不機嫌な顔でステージを去った。一応アイドルなはずだが一度も笑いもしなかった。
でも、嫌いじゃなかった。
あと必要なのは彼女たちを愛する大入りの客だけ。もしそれを手にしたなら、きっと大きなパワーに変えることができる人だ、と思った。思ったが、どうしたら手に入るんだこれ、大きなジレンマがそのままそこに横たわっていた、ごろんと。
特典会。星熊南巫は今と違って実に不健康そうな顔をしていて、感動の対面とは程遠い仏頂面でぬっと出てきた。これまで体験してきたアイドルの特典会のテンションとは全く異質な雰囲気に一瞬たじろいだくらい。
悪気があったわけでは全然なく、笑顔を作るのが苦手という悩みがあったことを知るのはこれまたそのずっと後のことである。(今現在の彼女はとてもにこやかに迎えてくれるぞ!)
名乗ると第一声目は「いつもRTありがとう」だった。大阪まできたのにそっちかよと思ったけども、よく考えるとそこまで日々のTwitterのフォロワーのリアクション見てくれてるんだな、というイメージと違わぬ真摯な人であるのはわかった。
1分、初対面の相手と過ごすには意外長い。とりあえず、なんでブーツ脱いだのか聞いてみた。
「なんとかしようと思って…ブーツ脱いでやってみたらなんかみんな匂い嗅ぎにきて…ちゃうねんって…」
わけわからないしなんて悲しいんだ。悲しすぎる。
なんとかしようと思った結果なんで脱ぐのか、というのは結構厚底のブーツだから動きをよくしようとしたんじゃないかなとか今は思うが、とりあえず想像よりもものすごくテンションが低い人だけども、頭の中身は確かにTwitterで日々ドタバタあがいている星熊南巫そのものだった。
「どうしようもない地下アイドル」と紹介されて大阪まで行って、ガラガラの現場でブーツ脱ぎ捨てて、客がそれ嗅ぎにきて、仏頂面で特典会。本当にどうしようもない。
しかしこれこそが、その後4年の付き合いとなる推しメンとの出会いなのだ。
だからそれは決して「嫌な思い出」ではない。当時の率直な気持ちとしては、大阪の地下で必死にあがいている星熊南巫そのものと会えたことに、「ライブに魂ぶつけて歌ってます。」という言葉に偽りはなかったことを知れたことに、素直な感動の気持ちの方が大きかった。
今思えばあの時期は、新メンバーも内定していたのかもしれなかったし、次の一手に向けてすでに動き出していただろうから、本当に限界な状況はすでに脱してはいたのかもしれない。「いつもみんなに助けられてるんやな」との終演後Twから察するに当時の中でも難しい現場だったんだろう。
ちなみにこの日はのちにラキアメンバーとなる川﨑怜奈の前身グループであるNEVE SLIDE DOWNも出演していた。そんなご縁も含めて、そんな日の彼女を見ておけたのは良かったと今でも思う。
ラキアとは切磋琢磨する良きライバル関係にあったNSD。歌い継がれたLeavingほか、ボロボロだった時期に彼女たちとの2マンで立ち直った意気込みを込めた曲『Reboot with...「 」』、その解散を惜しんだ曲『I’ll never forget 「 」』などこの辺の話だけでも一記事分ある。
●そして「推し」になる。-客を睨み据えて歌い続けた熱狂@新宿Loft-
そのくらいの頃から東京の現場もすこしづつ増えてきて来た時は行くようになった。そんな中、2人体制だったメンバーに相谷麗奈が加入した。彼女はすぐに即戦力的な活躍を見せ、新体制の良い評判も聞こえてきた。冬感のあった衣装も軽快なデザインのものに変わった。
3人体制を観るのを楽しみにしていたのだが、やっときたその機会、前のライブでステージから転落して怪我をした星熊南巫の姿はそこにはなかった。
ステージから転落ってまたなにやってんだよ…と心配しつつもあの、のたうつ竜巻のようなライブを思い出してすこし微笑ましくなったりもした。もちろん、のちにそれが笑い事じゃなくなる日が訪れることになるのだけどももちろんそんなことは知る良しもない。
相谷さんは綺麗なハイトーンと優しい笑顔の持ち主で、パフォーマンスの安定感も素晴らしかった。ギリギリなクマとクールすぎるウサギ、その間に入った華麗なネコは明らかにステージの質を変えた。フロアも次々に呼応できる厚みが増していった。
8月某日。新宿LOFT。
その日もいくつかの目当てのグループとともにラキアを見にきた。
並行物販になっちゃうくらいの前半の番手。少なくともそれがその当時のラキアのポジションだった。
まだあったまりきってはいない浮足だったフロアでラキアのステージが始まる。初見との違いは少なくも人数だけはそれなりに大入りであること。
一体どうなる?客と演者の勝負が始まる。
現れた星熊南巫はあろうことか、ただでさえでかい眼をカッと見開いてフロアを睨み据え続けた。ほぼ威嚇であったが魅入られるオーラもまたそこにあった。
あの時と同じようにのたうつような歌声が響く。そして暗がりに光るやたらでかい双眸が何かに取り憑かれたかのようにオーディエンスの1人1人を射抜き続ける。
そのテンションはついにフロアの狂奔の火蓋を切ったのだった。
髪を振り乱して右へ左へと動き回り、身を乗り出すようにしてその歌で1人1人に着火していく星熊南巫。火は繋がり、燃え上がり、火柱のような拳と熱の波が後方から最前まで押し寄せてくる。
たくさんの声が上がった。人間も上がった。圧縮さえ起きた。初見で感じた、この熱を受け止める客さえいれば…が実現したように感じた。
「Days」
「僕らが過ごしてきた日々は間違いじゃなかった」
彼女の眼は真っ赤だった。
もう汗だか涙だかさえもわからない。
振り絞り出す衝動だけの塊だった。
そこに湛えられていたのは高揚でも満足でもない。
自分が感じたのはただただ焦燥に焦げる魂だった。
頭の中にある他のことを全部焼き尽くすような熱で自分の体もいっぱいになった。
終演。湧き上がる拍手。
真っ赤な眼のその顔のまま、そんなフロアを一瞥して彼女は去った。
あの時の彼女の感情がなんだったのか答えあわせはできていない。最前付近で客が感じる熱と演者から見えるフロア全体の熱は違うもの。やりきれたからなのか、やりきれなかったからなのか。だが、わからないままでもいい。
都内のごくごくありふれた対バンイベント、20分程度の持ち時間。何か特別な記念や意味があるライブだったわけではない。どのグループも一生懸命はやる。だけど、そんなライブであんな真っ赤な眼で演るやつがどこにいる?
僕は後にも先にも見たことがない。
微力では無力。それが芸の世界。
そういう中で、とても厚くて大きくて…ほとんどが心を折ってしまうあの壁を突破できる熱を見た気がした。
その日その瞬間から、星熊南巫という人がどこまでいけるのか、見届けたいと本気で思うようになった。彼女が放った、自分自身を焼き焦がすような焦燥の熱の中にいる時間、その中毒者になった。
●日常を焼き尽す時間。-薄暗いライブハウスの中で観た夢と焦燥@渋谷eggman-
それからのラキアは徐々に知名度を上げ、都内でも多くの現場でしっかりファンがつくようになった。
制限なし、最初は苦手だったリフトもライブの風景として楽しめるようになり、肩を叩かれて上げた時はなんだか現場の一員にやっとなれた気がして嬉しかったりした。
東京に来る機会も増えたとはいえ、行けるのは平日だけだったのでそんなに高頻度で現場に行けていたとはいえない。結構空いてしまうこともあった。一番多く彼女たちを観たのは渋谷eggmanだろうか。なんとなく思い出も多い。
自分は決してそういう意味でいい客の部類ではないと思う。こんな記事書けるほどのファンじゃない。でもラキアの現場はいつ行っても楽しかった。その時間はいつだって変わり映えのしない日常を焼き尽くしてくれた。
その頃の自分は人生の大きな転機にあった。若さが常に求められる職種の中で、生き残りを賭けた戦いをせねばならなかった。一方でその漠然とした不安から逃げるようにライブハウスにいたところもある。
ずっと未来が怖かった。自分の未来を信じるビジョンがわかなかった。自分では抱えきれない恐れを一緒に焼き尽くしてくれる、そんな星熊南巫のライブが好きだった。
「元気をくれるアイドル」ってのとはちょっと違っていたけれど、そんなことはどうでも良かった。星熊南巫のライブはいつだって彼女自身のその日の温度が作るもので、ジャンルやカテゴリが作るものじゃなかったから。
一方で特典会では最初の仏頂面からはだいぶ打ち解けてきて、ステージでの攻めたパフォーマンスとは別人のように特典会での彼女は基本的におずおずとした人だった。これは今でもあまり変わらない。
ステージ降りたら陰の者。そんな彼女はある日訥々と夢を語ってくれた。
「いつか…海外のフェスとかに出られる人になりたいねん」
彼女のライブにずっとある「焦燥の炎」の秘密がわかった気がした。こんなところにいつまでもいるわけにはいかないんだ。どんなに全力で演って、持てる全てを燃やし尽くしても、その達成感は刹那。幸せを感じること自体が不安になってしまうような焦燥。それがこの人の中にある業であり、一際目立つ存在感にしてるコアなんだ。
その夢がラキアとしてなのか、あるいは別の形でなのか、それはこの際どっちでもいい。一つ言えることは彼女は「アイドル」という限られた時間の歌い手ではなく、その意志ある限りどんな形でも歌い続ける人だということ。そして去り際に彼女は言った。
「どこにいても必ず見つけるから!」
それが意味するところはただのファンサービスではなく「いつかどこにいるか簡単に見つからないような場所まで行くから」という宣言であると僕は受け取った。
決して大入りとは言えない渋谷eggmanの暗がり。初見で見たVARONよりは賑やかだったけれど、薄暗い地下のライブハウスの中で彼女の眼は相変わらず…いやもっと遠くて広い、照りつける太陽と青空の下の景色を夢みていた。
ここまでが3年前に書いた記事のオリジナルだ。(一部現在視点で加筆はしている)
● 「僕たちは明日を恐れない」-激動する時代が彼女たちに呼応し共感する現在-
ここまで書いておいてずっと世に出さなかったのは出だしの「どうしようもない地下アイドル」と星熊南巫の語った夢の大きさの距離を考えた時に、文章として着地点がなかったからだ。
その後のラキアは前述のNEVEの川﨑怜奈とRHYMEBERRY(ラキアチームが珍しくこんなカッコいいグループいるのか!と感動して対バンをよく組むようになったグループ。)のMIRIが加入。NSDとのドラマを引き継ぎつつも、おおらかな性格でダンス巧者でもある川﨑怜奈はLeavingの歌い継ぎによって真価を発揮、会場全体が振りコピで踊る新しいライブの形をもたらした。MIRIもまたアイドルというポジションにいながらRapを武器に本物を目指した稀有な存在。また加入前には一般客に混ざってリフト上がる姿が目撃されるなどラキア愛も深い。
かねてよりLINKIN PARKへのリスペクトを感じるミクスチャーサウンドのラキアにとってメンバー布陣としては完成したと言って良いだろう。
もちろん最初期からの相棒、海羽凜のことを忘れてはいけない。星熊南巫との(おそらく)ビミョーな関係や距離感だった時期を乗り越え、ある時期からたまーにTwitterで2人がやる「ケンカ」は名物の一つである。韓流に憧れ、磨きがかかる美とダンスパフォーマンスもグループの大きな武器である。
星熊南巫もソロ曲「cry pot」を皮切りに楽曲制作にも挑戦、グループの定番曲を生み出して行くことになる。
コロナの影響が続く中で、Nob(MY FIRST STORY)、Kuboty、HIDEとAG(NOISEMAKER)、YD(Crystal Lake)といった豪華作家陣楽曲提供を受けたニューアルバム「WAGAMAMARAKIA」をリリース。
中でも冒頭にリンクした「SURVIVE」のMVはYouTubeで100万再生を突破。地上波スタジオライブ、そして全国ツアー。グループとしての躍進はもちろんのこと、星熊南巫自身も冒頭のTwのようにカバーして歌うほど、日頃からリスペクトを表明し、「対バン」を夢の一つに掲げるBring Me the Horizon のOliver Sykesからインスタをフォローされ、公式マークまでついた。コロナの影響もぶち破って今、もっとも勢いがあるグループの一つであり、注目されてる歌い手の1人である。
かつて、チェキの列が東京でちょっと長かっただけで「奇跡やぞ!これは!」と関西勢がはしゃいでいたグループはその後もずっとびっくりするほどの「奇跡やぞ!これは!」を重ね続けた。
こんな続きがこのテキストのあとに書ける日を待っていた。今なら本当に夢に手が届くかもしれない。少なくとも誰も笑ったりはしない。信じることができる。そんなところまでたどり着いた。
とは言え、決して順調だったわけでもない。膝の手術による長期休業、相谷麗奈の脱退。失われた時間とグループの再構築という、いわば足踏みの時間は以前にも増して彼女の焦燥の炎を燃やし、取り憑かれたようなテンションのライブが続いた時期もあった。
何かを予言するかのように「急にライブができなくなるかもしれない」「歌えなくなるかもしれない」そんなことを星熊南巫がMCで語り出した最中、産み落とされた新譜の名は「Don’t fear a new day」。
奇しくもこの曲の名を題したワンマンライブの後、日本は緊急事態宣言に入り、長い自粛が始まってしまう。変わっていく世界を鼓舞するようなフレーズとして時勢にハマってしまったが、裏を返せば先のMCのように「未来や明日を怖いと思う気持ちの存在」が前提になっている。
新しい日。明日。このフレーズはかつてはこんな風に歌われていた。
「明日が来ないなんて 誰かが口ずさんでいるけど
僕が明日の光になる」
「There is surely tomorrow」
我儘ラキアの初期代表曲の一つである。
ステージで歌うメンバーの主体は当然「僕」だ。だけど本当は「明日が来ないなんて口ずさんでいる誰か」でもずっとあった気がする。「僕」の存在は、きっとはじめて見たあの日のライブのようにメンバーが望むビジョンの中にだけいる。
それから時がたち、星熊南巫は自身が書いた詞の中でメンバーとともにこう歌うのだ。
「僕たちは明日を恐れない」
「光になる」と言い張ってきた「僕」は等身大のメンバーとようやく一つに重なり、自分たちの言葉として「恐れない」と宣言する。
我儘ラキアというグループの本当の一歩目はここから始まったのではないかとさえ思う。ラキアの歌詞の中にいる「僕」にも物語があるとするなら、「There is surely tomorrow」も「Days」もまだ先の物語である。
一番怖いものは「時間」だと彼女は言う。
夢を追いつつもその距離と過ぎゆく時間を恐れてきた。変わり映えのしない明日、来ないかもしれない明日を恐れてきた。けれど、その焦燥の炎はついぞ彼女自身を焼き尽くすことはなかった。
それどころか。彼女はたぶんそうした想いを歌という表現手段にフォーカスしてまっすぐ力に変えるライブをしているように見える。そのステージはライブハウスには閉じ込められぬほどパワフルで輝いていて、そしてとてもセクシーだ。
眼が潰れるかと思うような眩さとそれでいて変わらず流れる焦燥、そして不安を包み込むような優しさ、乗り越えたきた歴史の数だけ彼女のライブが観せてくれる顔は今や多彩だ。世界が放っておくわけがない、もはや確信をもって言える。
何より身を焦すような思いを力に変えてきた星熊南巫という人の生き様はこんな時代からこそ、さらに多くの人々の心を捉えるに違いない。
そんな彼女が歌う「明日を恐れない」という言葉は上から目線の無責任なエールではなく、不安に一緒に寄り添う言葉として響くことだろう。
自分の本当の転機も昨年訪れた。もちろん今も続いている。だけど「恐れていた未来」にはならなかった。星熊南巫の姿を体におろして、逃げるのを辞めて、腹を決めた戦った結果かなと思う。ありがとう星熊南巫、僕は今、貴方がくれた光の中にいます。
「ギリギリなクマ」は「時代によりそい、共に生きるシンボル」に。「どうしようもない地下アイドル」は「ジャンルも性別も国境も越えたノーボーダーなアーティスト」に。
本当の挑戦が始まる春にエールを込めてこのテキストをここに記します。