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久しぶりに福島県の双葉・相馬地域に行ってきた感想【3.11】
福島原子力発電所がある地域に実習引率で行ってきました。
これを読んでくれてる皆さんはこの地域にどういったイメージをお持ちでしょう?
震災直後の状況が、街中にそのまま残っていて、廃墟となり、動物の街となったゴーストタウンのイメージをお持ちの方もいらっしゃるでしょうか?
そんなことはなく、すごく綺麗になってました。
6年前、その地域に実習で行きました。
当時は震災後、帰還困難区域になってしまったので、まだまだ国道を走っていても当時のままがあって、ガラスが壊れたままの車屋さん、パチンコ店がありました。
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私が見る限り全部なくなっていました。
すごく綺麗になっていました。
この地域は海岸沿いの一つ手前の大きな道が国道で、そこを南北に縦断してバーッと走っていけるようになっています。
そこが、仙台からいわき市、さらにずっと下に行くと、松崎先生がいる茨城のほうの地域に行けるルートです。
最近では常磐線の全線運行なんかも言われてまして、そのルートと同じようなルートで南北に国道が走っています。
その道自体はだいぶ前から完全に復活してるんですけど、福島原子力発電所の方に行く海の道は封鎖されているのですが、かなりの場所は車で行けるようになっています。
復興拠点の企業を誘致するために、ロボットフィールドができたりとか、研究拠点みたいな施設がたくさん作られていて、そこで技術開発したりとか、研究で使えるようになっています。
大熊町、双葉町、富岡町、浪江町、などそのあたりのエリアは研究や企業が使える土地として有効活用されているように思います。
もちろんそういった地域は除染がされているので、特に問題なく福島市内と同じように過ごすことができます。復興のイベントで、何万発かの花火を海に上げるイベントも行われているようです。
私も福島に住むまではぜんぜん知らなくて申し訳ないなと今では思うのですが、初めて福島に来たときには予想を超えて普通な感じのところだなと思いました。メディアで報じられている印象と、自分で見る印象というのはだいぶ違うなと感じたものです。
私が福島市に来たのが、震災が起こってから6年目の時です。福島県って結構広いのですが、浜通りの地域と福島市は全然違う場所なんですよね。距離も離れているし、実際に行ってみると街の雰囲気も住民の方の気質も違うものです。
相馬・双葉の地域を相双地域っていうところが、津波が来た土地です。原発の事故が重なって、二重災害、複合的な災害が起こりました。そのせいで復興が遅れているということはあります。
避難してからも街に籍を残しながらも、違う地域で住まれてる方もいらっしゃいますし、戻ってきて生活をされている方もいらっしゃるそうです。いろんな形で街と繋がりながら生活されています。
広島の原爆資料館みたいに、東日本大震災・原子力災害伝承館という東日本大震災や原子力災害のアーカイブ展示がされている場所があって、そこも心にぐっとくるような展示がされていました。
広島の原爆資料館で見聞きするものは、その当時の映像資料が残ってないんですけど、福島はかなり映像資料がいっぱい残されていて、その時の様子とか、後でインタビューした時の映像なんかも見ることができます。ああ、こういう様子だったんだなっていうのがよく分かる展示でした。
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私が知らないことがそこにはたくさんありました。
原爆資料館と違うのは、原爆は50年以上前の出来事だから生活様式が全然違うのですが、福島の原発事故と震災は数十年前の話です。
自分の生活に近い感覚で捉えられるんです。
だから、もしここでこんなことが起こったらどうなるか、すごく自分事として考えさせられる展示だったなと思いました。結構考えることが多かったですね。
1番印象的だったのは屋内退避についてです。福島原発の事故があり、避難する区域と屋内退避する区域がありました。
避難する大変さももちろんありますし、屋内退避する大変さもありました。物資が届かなくて大変だったようです。
屋内退避の指令後、住民の方々は屋内退避をしていたのですが、外からの輸送の車も屋内退避のエリアに入ることが難しくなってしまったようなのです。そのおかげで、食品の調達、そして医療資材が滞ってしまったという大きな問題が起こったそうです。
3.11の発生時、私は函館にいました。ニュースで福島のどこかの自治体の首長が物資が足りないことをうったえかけていたことは覚えています。しかし、実際の逼迫度などそういったことまでは考えられていなかったなと今振り返るとおもいます。
福島県内も浜通りだけではなく、福島市や郡山市、白河市でも道路が地割れしたりとかっていうことはあったみたいです。
まだ帰還困難区域もあり、復興には様々な課題があるのだと思いますが、この地域の方々とお話をして、みなさん真摯にいろいろな事柄に向き合い、生活されています。
縁があって今福島にいます。わたしは、自分にできることをしようと思います。
それでは素敵な日曜日を。