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暇とメンタル再考、なぜ暇はネガティブを産出するか?

どうも、あおきです。医学部でコミュニケーション教育と心理学教育を行っている研究者兼心理カウンセラーです。

今日は「暇や退屈とメンタルの関係」について考えてみたいと思います。暇や退屈と聞くと、一見無害な状態のように思えますが、それが私たちの心にどのような影響を与えるのか、そしてなぜそのような影響が生まれるのかを掘り下げていきます。

まず、暇や退屈という状態がどういうものかを考えてみましょう。

暇とは、何もすることがない、もしくは何をしていいかわからないと感じる状態です。そして退屈は、何かをしている最中にもかかわらず、それが自分にとって意味がない、あるいはつまらないと感じる心理的な反応です。

この二つには違いがありますが、共通しているのは「満たされない」という感覚です。この満たされなさが、メンタルヘルスにどのように関係しているのでしょうか?

まず、暇や退屈がうつ状態とどのように結びつくかを考えます。

暇な時間が長く続くと、人は次第に内面に目を向けるようになります。内面を見つめること自体は悪いことではありませんが、その際にネガティブな思考が生まれやすくなります。「自分は何をしているんだろう」「自分には価値がないのではないか」といった否定的な考えが浮かぶと、次第にそれが習慣化し、自己評価を下げてしまう可能性があります。

特に、何か目的や意味を感じられない状態が続くと、やる気や活力が失われ、結果としてうつ状態に陥るリスクが高まります。

次に、退屈が不安とどのように関係するのかを考えてみます。

退屈という感覚は、一見すると無気力な状態に思えますが、実際には心の中でエネルギーがくすぶっている状態でもあります。

このエネルギーが行き場を失うと、不安という形で表面化することがあります。退屈が続くと、「このままでいいのだろうか」「もっと何かすべきではないか」という漠然とした不安が生まれます。

この不安は、未来に対するコントロールの喪失感や、自分の現状に対する不満からくるものです。退屈であるがゆえに、こうした不安が増幅されやすくなるのです。

さらに、退屈が怒りと結びつくケースについても見てみましょう。

退屈は、周囲の環境や他者に対する苛立ちを引き起こすことがあります。何かをしているのに意味を感じられない、または自分の期待していた結果が得られないと感じると、フラストレーションがたまります。

これは、無意識のうちに「自分はもっと面白いことや有意義なことをしているべきだ」という暗黙の要求があるためです。この要求が満たされないことで、イライラや怒りが生まれるのです。

では、なぜ暇や退屈がこうしたネガティブな感情を引き起こすのでしょうか?その背景には、人間の心理的な仕組みが関係していると考えています。

人は基本的に刺激を求める生き物です。新しい情報や体験に触れると、脳内で快感を感じる仕組みが働きます。しかし、暇や退屈が続くと、この刺激が得られず、脳が「不足感」を感じます。この不足感が、ネガティブな感情を引き起こす要因になるのです。

また、暇や退屈の中で自己反省が生じると、それがネガティブな方向に向かうことがあります。人間は反省を通じて成長することができますが、暇な時間が多すぎると、必要以上に過去の失敗や未解決の問題に囚われてしまうことがあります。

こうした過剰な反省が、不安や怒り、うつの要因になることもあります。

さらに、現代社会においては「何かをしていること」が美徳とされる風潮があります。

この価値観が、暇や退屈をさらにネガティブに感じさせる要因になっています。何もしていないとき、自分が社会の基準に達していないと感じることで、ネガティブな感情が強まるのです。

この社会的なプレッシャーが、退屈や暇を単なる時間の隙間以上に、心理的な負担として感じさせる理由の一つです。

結局のところ、暇や退屈は単なる「やることがない」状態ではなく、私たちの心にさまざまな影響を与える要素を持っています。

それは、うつ、不安、怒りといった感情の引き金となり、私たちのメンタルヘルスに深く関わると考えられます。

このように暇や退屈と向き合うとき、その背景にある心理的な仕組みを理解することが、まず第一歩になるのではないかと感じます。

今後も暇とメンタルについて私が考えていることを言葉にしていきますので、今後ともよろしくお願いします。

この記事は暇と退屈の倫理学を読んで影響を受けて書いたものです。こちらも合わせて読んでね。

それでは、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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