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身体感覚を研ぎ澄ます /ファシリテーション一日一話 12

瞑想やマインドフルネスの実践家であり研究者の藤野正寛さんのお話しをオンラインで伺った。ファシリテーターとして手がけている仕事のうち、今の段階だと1-2割がオンラインの仕事になる。オンラインだとどうしても限界がある、と思っていたのは単なる僕の思い込みで「おぉ!ここまでいけるんだ」と驚愕した。森の案内人・三浦豊さんといっしょに4年間開催してきた「みんなの森のサロン」でのひとコマ。

レーズンひと粒を用意してください

オンラインのセッションが始まる前に、藤野さんからこんな声がかかった。各自、画面の前でレーズンを用意して待機する。なかには忘れた者もいて、台所から黒豆を持ってきた人もいた。藤野さんが瞑想と出会った経緯、ペルーのアマゾンで出会った薬草を通じたセレモニーや、メキシコのシャーマンとの話、仏教における3つの理解や、マインドフルネスという言葉の意味合いなどを伺ったあと「レーズンエクササイズをやりましょうか」という話になった。ワクワク。それを待っていた。

体を伸ばし、しっかりと足をつけて椅子に腰掛ける。心落ち着け、レーズンを1粒手のひらにのせる。ひとつ、ひとつの所作を丁寧に味わう。「どんな感じがしますか?」と、藤野さんは問いかける。右手にのせ、左手にのせかえ、指でつまむ。「重さは感じますか?」「柔らかさはどうですか?」「ねばねばした感触でしょうか?」といった問いかけが出てきて、それぞれにレーズンを味わう。鼻先に持ってくると、ふぁーっとレーズンの香りが脳内に到達する。僕は、昔おばあちゃんに作ってもらったレーズン入りの蒸しパンのことを思い出した。懐かしい記憶だ。あの時の蒸しパンはレーズンの香りをたっぷりと含んでいた。おばあちゃんの優しい顔や柔らかい肌まで思い出す。そんなことを思い出していると、口に含む前から唾液が出てくる。「その手は、誰が動かしているのでしょうか?」「唾液は自分が出しているのでしょうか?」と、意識的に動いているのか、無意識に動いてしまっているのか、よくわからない。

口に入れる段階に入る。すぐには噛まない。舌にのせ、どんな身体感覚があるかを味わう。指で触っていた時よりレーズンは固く感じた。指とちがって、口の中だとレーズンのひだのひとつ一つが、より鮮明に感じとられる。ひだの間にある白い旨み成分が、口の中を旅する。すでに奥歯がレーズンを噛みたがっているように感じる。「ゆっくりと噛んでみましょう」と声がかかる。左の奥歯で、ゆっくりと噛む。

この葡萄はどこから来たのか

「どんな音がしますか?」 すりつぶすときに、生命体が車輪に踏まれるような音がした。僕はレーズンが干し葡萄であることを思い出す。この葡萄はどんな房であったろう。隣のレーズンたちは、今、どこにいるのか。どんな畑で、どんな太陽を浴び、どんな風に打たれて育った葡萄の木だろうか。農家さんが手間をかけ、育んだひと粒のレーズンが、今、すりつぶされた。

口の中に葡萄の香りがさらに広がり、果汁が体内を駆け回る。ゆっくり、何度も噛んで噛んで、時間がすぎていった。「ころあいをみて、飲み込んでみましょう」。食道から胃へ流れゆくひと粒のレーズンを感じる。胃は誰が動かしているのだろう。待ち構えたようにぜんどう運動を始める胃の動きを感じつつ、最後は深呼吸を3回してレーズンエクササイズは終了した。

ふりまわされず、自由に動く

終えたとき、自分の身体感覚が研ぎ澄まされ、とても開かれたような感覚になった。翌朝、おさらいで朝4時にもう一度レーズンエクササイズをやってみたが、このレーズンは昨晩食べた子と全然違って、とても固く、がっしりとした触感で、違う畑を連想させた。レーズンは違えど、自分の感覚は研ぎ澄まされ、あらゆるものを感じやすくなった自分がいた。「こういうモードでファシリテーションのお仕事をしたほうが、うまくゆきそうだ」と直感した。私たちの生活には、様々なノイズがまとわりついている。それらにいちいち振り回されるのではなく、自分の身体感覚を研ぎ澄まして、とらわれのない自由な身で、仕事や生活をしてゆきたいと、感じた。さぁ、今日は子どもの遊び場をつくっている方々の会議進行だ。ワクワクしていこう。

藤野さんのレーズンエクセサイズ、とてもオススメ。ご縁あれば皆様もどうぞ、ご体験下さい。今回伺ったお話のアーカイブ動画、冒頭のリンクから購入可能です。

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