100年後の未来を見据えて /ファシリテーション一日一話 15
この3日ほど、南方熊楠をテーマにした旅に出かけていた。熊野ゆかりの偉人が暮らした家を訪ね、ミュージアムをたっぷり巡り、彼が研究した森を歩き、お墓参りをした。南方熊楠が生きた時代は、明治・大正・昭和と激変する日本。若い頃にアメリカやイギリスに渡った彼は、市井の博物学者・民俗学者として知られ、粘菌研究なども行った。明治末期、政府の「神社合祀」政策が協力に進められると、これに怒る。数ある神社を統合・整理し、その森を伐採する動きは、実のところ日露戦争でかさんだ戦費を補うためという理由もあったらしい。当時、紀伊半島には沢山の巨木があり、中でも大きなクスノキがたくさんあった。クスノキからは樟脳がとれ、それらはプラスチックができるまで大活躍したセルロイドの可塑剤として大量に輸出された歴史がある。
熊楠は、この神社合祀政策に反対の意思を表明し、いくつもの熊野の森や木々を守った。実際に訪れてみると「よくぞ、この木を守って下さった」と、心からお礼を言いたくなるような巨木だ。熊楠が反対運動を起こして守ることができたのは、ごく一部であるから、とても悔しい思いもしただろう。でも、100年後の未来を見据えて、私たちのためにしてくれたこと、忘れずに記憶して、未来に引き継ぎたい。そんな気持ちになる旅だった。
熊楠をテーマに集う仲間たち
ひるがえって、私たちが未来世代のために、今できることは何だろう? そんなことを改めて考えさせらえる時間でもあった。一緒に旅をした仲間に、稲本正さんがいた。稲本さんは岐阜にオークビレッジという工房を立ち上げ「100年かかって育った木は、100年かけて使えるモノに」というコンセプトのもと、国産材で頑強な家具をつくってきた人だ。著作も多く、旅するなかで日本の木の話を沢山してくれた。また、ファシリテーター仲間の古瀬正也さんも旅の仲間でいてくれた。彼は「対話に生きる」をテーマに掲げるファシリテーターで、対話の意味や価値を共有してくれる。他にも茅葺きや古武術を学び、日本のよきものを未来に届ける活動をしている方や、みんなの森のサロンの仲間もかけつけてくれた。みんな、100年後の未来のために、それぞれができることをしているようにも、感じた。
短期思考から長期思考へ
自分のために生きるのもけっこうだが、未来のために何かするのも、とても気持ちがいいこと。熊楠ほど大きなことはできないかもしれないけど、目線を遠く、先々の世代のことも思って、一歩ずつ歩いて行きたいと思う。僕はファシリテーターとして会議を進行するとき「その場がなんとか収まればいいや」と短期的な視点に陥ってしまうことがある。「この決定は100年後の未来にどうインパクトを与えるか」といった長期的な視座ももって、物事を決める場に立ち会いたい、と思う。
共に旅した仲間達と、素晴らしい熊野のガイドの皆さんと、未来の私たちのために森を守ってくれた南方熊楠先生に、心から感謝。