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付着.27 ひねくれ者の視点を持ってみる。

今回は「ひ」だ。

誹謗中傷、いじめ。最近少し騒がしくなった気がする。今も悩んでいる人が沢山いるだろうし、俺もことあるごとに悩んできた一人でもある。

今日のテーマが少しでも苦しみから抜け出すきっかけになればいいと考えているが、それには苦い出汁も必要である。目を背けず、一緒に根本を考察してみてほしい。

いきなり重いことを言うが、経験してみて思う。いじめや誹謗中傷。必死に呼びかけたり、なくそうとしてなくなるようなものではない。だからと言って泣き寝入りするつもりもないのだが、簡単に終わる問題ならとっくの昔に解決しているだろう。

そこで、今日テーマ「ひねくれる。」である。

人間は大なり小なりひねくれているのが当たり前だ。というより、「ひねくれていない」がそもそも存在するのか?という疑問が1つ。

曲がるってのは、真っ直ぐがあるから曲がってると思うのであって、曲がっていることを俯瞰で見てみないかぎり本人は真っ直ぐだと思っている場合もあるのだ。

この考え方が既にひねくれていると言えるのだろうが、まっとうだと思う人間もいる。正論、モラハラもこの一種だろう。

いじめや誹謗中傷も同じで、本人が俯瞰で見れていないことが多いのではないだろうか。いじめがカッコ悪いというCMもあるが、何が、どうカッコ悪いのか伝える必要があるはずだ。

ここで、ひねくれる視点が重要になっていく。例えば、「クラスの目立たない奴。」をいじめている集団が居るとして、この人間達が果たして目立つ奴なのだろうか。むしろ、ある程度の位置を確保することに必死であり、そこには自分の意思が存在していない可能性が高い。目立たない奴とは、そう呼ばれてはいるが目立たないという個性で目立っているのだ。

つまり、いじめている側はこの個性に嫉妬しているだけなのである。ひねくれて考えれば、この場合「いじめさせられている」ことがカッコ悪い。

本当に自分に自信を持っていたら、他人を蹴落としてまでマウントをとらないし、他人と比較することもしないだろう。

ひねくれる視点を持つことで、見えなかった根元が見えてくる。誹謗中傷させられていいる、いじめされられている側はもっと自分を俯瞰で見つめ、「俺、いじめさせる程の個性も持ってないのかよ。」と考えると、とたんに情けなく思えてくるはずである。

自分も学生時代、クラスの皆にシカトされ昼飯も教室の端に机を動かして一人で食べていた。だがこれも、友達100人できるかな?と希望を持っている人間ならともかく、本当に100人も友達がいたら正直めんどくさい。昼休みに遊びたい日もあれば読書したい日もあるのだ。

むしろ、向こうから距離を置いてくれたことをラッキーだと思い。ここぞとばかりにやりたいことをやればいい。つまらない遊びを断る手間が省けるのだ。

実際、ネットが普及した社会では人間関係を作るより、人間関係を断つほうがよっぽど気力がいる。相手から身を引いてくれるなら願ったり叶ったりだ。

誹謗中傷させられてる人間も所謂は「暇人」であり、日々の生活でやりたいことがないからわざわざ他人事に時間を割けるのである。こんなに沢山エンターテイメントが溢れる世界で、そんなつまらない事に時間をあてれることが羨ましい。

こっちは趣味が多すぎて辛いし。時間が足りない。出来ることならわけて欲しいと思う。

この気持ちですら、逆の視点からみれば誹謗中傷なのかもしれないだろう。「ひねくれてない」が存在しないと思うのはそういう事だ。

どうせ皆ひねくれているのなら、ひねくれ尽くして人生を楽しむといい。

とはいえ、手まで出されると話は変わってくるのだが、ここでもひねくれることは大切な武器となる。手を出されても決して反撃してはならない。すぐさま公的な場所に相談して、怪我でもしたら慰謝料を請求するのだ。逆カツアゲと思えばよい。俺は当たり屋なのだと。

これも経験があるのだが、おっかない兄ちゃんに呼び出されて暴行されたことがあった。その時はバンドをしていたため、ギターとエフェクターボード(プラと金属でできた黒い箱みたことないですか?)を持っていたのだが、防御するためにこの箱を使っていた。途中、急に攻撃が止み野に返してもらったことがある。

数日後に聞いたのだが、その兄ちゃんは箱の角に足が当たり指を骨折したらしい。もう慰謝料などいらん。高くついたな。こっちが暴行してしまったみたいだ。そう考えて心の平穏を保ったものだ。

ここまで書いてしまうと、誹謗中傷、いじめされられている無個性暇人の人達をいじめている気持ちにすらなってくる。俺も所詮いじめされられているのかもしれない。

このように、見方を変えればいくらでも加害者になれるし、被害者にもなれるのだ。いじめがなくならないわけである。

追いかければ追いかけるほど、遠くなるのだ。

渦中にいる人にとって、こんな風に考えるのは難しいことも、苦しい気持ちも痛いほどわかる。が、いっそこんなクダラナイ問題はシカトして、自分の人生を楽しめるくらい、ひねくれてみてはどうだろうか。

その関係は本当に必要なのか、要らないなら捨ててしまえばいいのだ。

めんどくさい関係にわざわざ向き合うほど、あなたは暇じゃないはずだ。

無視されているなら、「読書やゲームの時間くれてありがと。」と思い、好きなことを好きなだけやればいい。

そうやってひねくれながら、あなたの明日がいい日になることを願っている。

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