付着.46 宮崎駿に学ぶ、付着から繁殖へのキップ。
ついに「ん」である。
この一文字を世界で一番上手に使ったのは、宮崎駿先生ではないだろうか。
となりのトトロ。カンタの放った「ん。」は凄まじい威力を内包した「ん」であった。別に言うほど幾度もトトロを観たわけではないが、しっかりと心に残っているシーンだ。
例えば我々が真似をして「ん。」と言ってもあの様にはならない。人物の性格、表情や普段の行動。全てありきの「ん。」である。
なんて自分で書いていると、これまでnoteに投稿した作品は果たして俺に似合いの「ん。」であったのだろうかと考えさせられる。
匿名とか顔出ししないってのは性に合わないので、名前の話しもしたし顔も出している。が、他人から見た自分の見た目や性格は、この文章としっくりきているのだろうか。
きていないんだろうな。
昔から不器用だった。同じ話をしても、似せたトーンで笑いをとりに行っても、なんだか刺さらないのを肌で感じてきた。だから、今もそうなのだと思う。
逆に、何も考えず口にした言葉が異常なほどウケたり、人の心を動かしたりすることがしばしばあって、本当はその瞬間が嬉しいからこうして文章を書きながら自分探しをしている途中なのだろう。
狙わずに言った言葉を、狙いにいけるようになりたい。
狙うというと人聞きが悪いのだが、歌舞伎町で飲んだ朝、ゴミと共にゴミ捨て場で寝ていたゴミ男。それが俺だ。同じく飲みすぎて小田急線をなん往復したのかも分からず、気づくと車両の出入口に寝ていて、人々は俺をまたいで出入りをしていた。そこに人間としての俺は存在せず、ただの邪魔なゴミになっていた男。それも俺だ。
数々の恥を晒し、腐りきって、世捨て人と名乗りながらヘラヘラ生きてきた。そんなクダラナイ俺でも、誰かの心を少し軽くできた瞬間があるのだ。
そして、それを忘れられないのだ。
青かびというペンネームは、俺の希望と夢のかたまりなのである。ゴミだと言われようが、腐っても、カビが生えても、使い方によっては人々の食卓に並ぶことがあるのだ。
美味しいと言われることがあるのだ。
一献の酒のお伽になればよし。ONE PIECEで光月おでんに先を越されてしまったが、俺もずっとそう思ってきたのだ。
もちろんこんなカッコいい言い方ではなく「誰かが酒でも飲んでる時に、笑い者でいいからツマミになるくらいのクダラナイ人生を生きたい。」とかそんなんだが。
自分に似合う洋服。自分に似合う髪型。
自分に似合う言葉。
これを見つけるのが一番難しいよね。
センスがいい人は、生活してきた中でコツを掴んでて、上手に生きれているのにね。
不器用な俺たちには、本当。難題なんだい。
俺なのか、僕なのか、私なのか、自分なのか、ウチなのか、我なのか。
俺と表記しながら続けてきたが、俺が俺と言うことがそもそも俺に似合っているのかわからない。
作品を作る人は、それが良くわかってるんだろうな。この人物は僕、この人物は私。カンタには「ん。」
どっちが先かわからないけど、僕という人物が僕を必要とする場面で出現する。
台詞が先なのか、人物像が先なのか。
今日であ~ん。チャレンジは一区切りなのだ。
明日からは、自分探しのnoteを。
付着から、繁殖へ。
明日もいい日にしてくださいね。
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