本来、伸び縮みするもの。だもんなぁ。
こんばんは。
お久しぶりですね。
ふくらはぎは、言葉通りふっくらした健康的なシルエットが好みだなぁって。
物凄くサムいことを冒頭から書いてしまった後悔の念を背負いながら、本日気づいたことを気持ち込めてお伝えしたいと思います。
日本で一番ダルシム(@ストリートファイター)に近い男。ヨガを愛し、ヨガと生きるあの有名なお方のように、ほぼ丸1日ストレッチと過ごしてみました。
もちろんヨガテレポートは使えるようになりたいのですが、(小学生の自分にはコマンドが難しくて使用不可だった為。)今日ストレッチした理由は、決してヨガテレポートの為でも火を吹く為でもありません。
めっちゃくちゃ、体調不良が続いたからです。
一週間程、夕食を食べる気力もなく、仕事から帰ると布団でダウン。朝はようやく起き上がり、バナナだけかじって出かける毎日。お客様にも痩せた?と聞かれ続け、流石にヤバいと思ったので、休日を使って原因を探ろうと思ったわけです。
原因究明にストレッチを選んだ理由は、特になく。とりあえず、今、ここで、できそうなこと。を探した結果ですが、これがとても上手いこと行ったというお話です。
ダルい身体を動かし、ギリギリの気力で開始して20分程は「俺、一体何をしているんだろう。」「ウマ娘とグラブルやらなきゃいけないし、本読みてぇ…」という2つの思考に支配され、なかなか身体に向き合えなかったのですが、だんだんと意識が伸ばしている筋肉に集中していきました。
なんだか楽しくなってきて、Tシャツを脱ぎ捨て、アスリートになった気持ちで身体中に神経を集中。この時点で俺を縛っていた思考から解き放たれていたことを後に気づいたのですが、思考の話しは割愛しますね。
とにかく驚いたのは、身体全体が「腕」「足」という部位とか1本の筋肉ではなかったという、当たり前だけど実感できていなかった事実です。
単純に「腕」を伸ばしていても、少し角度を変えるだけで「腕」だと思っていた物の内部に、数本、数十本もの存在を確かに感じられました。
「それら」は、身体全体に存在しており、個々が繋がって頭から足までの全てを形成していたのです。
1つ1つをじっくりと観察、伸ばしたり縮めたりしながら、体調不良の原因を探ってみました。
そして、遂にたどり着いたのです。
「ふくらはぎ」という大変重要な存在に。
よく考えてみれば、第2の心臓等と呼ばれていた気がします。誰にかは不明。でも、確かに聞いたことがあるような、ないような。
例えそんな言葉がないとしても、俺の身体が教えてくれたのです。
「ここがね、アカンのよ。」って。
全然動いていない。つまり、血流がこのふくらはぎで著しく低下していたわけです。(恐らく……)
サボっていたふくらはぎ君に代わって、沢山の筋肉達が働き詰めで、金喰いニート達を抱えて奮闘してきたのだと気づきました。
そりゃぁ弟を養う兄貴達は疲れますよね。
なので、ふくらはぎ~足首までの、引きこもりニートを引っ張り出して、ケツを叩き、時に励ましながら、社会に復帰できるよう1日がかりで向き合いました。
彼らも当然今の暮らしを手放したくないので、一筋縄ではいきません。
完全に立ち直ったとまではいかないものの、ようやく本来の在り方を思い出して貰う事ができました。
それが、伸び縮みするもんだ。ということです。
身体の中にある、どの筋肉も生きていく上で必要であり、伸びた状態のままでも、縮んだ状態のままでもダメなのです。
一本一本がしっかり伸び縮みすることで、血液が循環している。こんな当たり前を、ずっと知らずに生きていました。
きっと心も同じで、悲しみとか喜びとか、どっちかに振り切ってる状態じゃ機能が低下するのだと思います。
地球上に存在する全てが、本来、伸び縮みするもんで、それが自然なのだと。
命とは伸縮性を持っているもので、この性質が失くなった時に、死が訪れるのかなぁ。なんて大きなことも考えてみたり。
できるだけ柔らかく、できるだけ硬く。どちらにも自己の意識で選択できるのが、身体の正しい使い方なのではなかろうか。
そんなことに気づいた、35年と1週間でした。
まだまだいける。沢山伸び縮みさせて、楽しく、毎日を過ごしたいですね。
そういえば、今日Twitterで流れてきた珍獣「サイガ」も伸び縮みを誇張したような姿だったな。
何か訴えている表情だった。
多分、こんなコトだと思う。
「可愛いお姉さんは、好きですか?」
もちろん!大ス!
……ヨガテレポート。
おやすみなさい。
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