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長編を脱稿して今日、担当編集者さんに送った。 人にもよると思うけれど、基本的に長編は長い…
金原ひとみさんの初期の短編集「マリアージュ・マリアージュ」を読んだ。彼氏の親戚の法事に行…
明けましておめでとうございます。 毎年、初詣は那智大社・速玉大社・本宮大社の熊野三山をぜ…
福音館書店の雑誌「母の友」が休刊になる。 数年前までの私にとって「母の友」は、見かけるこ…
押上駅のB3出口を出ると、いきなり左手にスカイツリーがあって、「あ、こんなにすぐあるんだ…
拙著「繭の中の街」が、書評家・細谷正充さんが選出する細谷賞をいただくことになった。 今月…
誰に向かって書くのか さて、誰に向かって書くのか。つまり、文章の「宛先」です。 ざっくり分けると、「自分」か、「他人」だと思うのですが、変な話、自分もある意味で他人とも言えます。100%理解できることなんてないし、思い通りにもならない、という点で。 だからこそ、自分に向かって書く文章というものがあるんですよね。自分に向けて書く文章って、何があるでしょう? そうですね。日記だったり、思いを吐き出したり整理するためにばーっとノートに何かを書いたりといったことです。 人のメモリー
「もしカーナビの声が長嶋茂雄だったらどうする?」 むかし、同僚が運転する車の中でそんな話…
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車に乗り込むと、助手席に乗った息子が刀(おもちゃ)をつきつけてきた。 「何のつもりだ」 「…
小説推理で特集する、「夏に読みたいオールベスト小説」への寄稿を依頼された。28人の小説家が…
5日のサイン会が無事に終わり、ほっとしている。 初めてだったので、自分に対して緊張してい…
新刊「繭の中の街」の出版までを実況中継する「本が生まれるまで」。前回の②に引き続き③をお…
写真に写るのはもともと、苦手だった。 日本にまだカメラが入ってきたばかりの時代は、「写真を取られると魂を抜かれる」と広く信じられていたらしいけれど、それと似たような感覚がある(ちなみに江戸でも明治でもなく昭和生まれだ)。 自分のコントロールがきかないところで、自分の姿が保存され、誰かの手元にあるというのはどうにも気持ちが悪い。カメラを向けられると、何かが侵害されるような感覚になる。 「みんなで写真撮ろう~」と言われたら文句を言わず一緒に入るくらいの社交性はあるけれど、かなり居