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【書籍紹介】今井むつみ『学力喪失 ー認知科学による回復への道筋』



「学力喪失」の意味するところ

著者の専門分野は、子どもの母語の言語習得である。
言語は複雑な記号体系であり、その習得には大変な知的プロセスを必要とする。しかし子どもはみんな母語を習得することができる。それはなぜか?どうやって言語を習得しているのか?ということを著者は研究してきた。

その結論をものすごく雑に紹介すると、「子どもの学ぶ力はすごい」ということになる。

ところが、小学校に上がると途端に学習内容についていけなくなり、「学力が足りない」と見なされてしまう子供が増える。
驚異的な「学ぶ力」で複雑怪奇な言語を習得してきた子どもたちが、なぜ学校の学習内容を理解することができないのか。
乳幼児の頃に持っていた学ぶ力はどこに行ってしまったのか。

なんらかの理由で、子どもたちは学ぶ力を喪失してしまっている。
著者はその状況を「学力喪失」と表現し、本書のタイトルに掲げた。

すなわち、学力喪失は子どもの成長過程で発生する問題であって、「過去の子どもたちに比べて現代の子どもは学力を喪失している」という意味では決してない

具体的には、授業についていけなくなるのは、子どもの学習性無力感が直接の原因であると分析している。そして、その学習性無力感を生んでしまうものは何なのか、根本的な原因を追求する本である。

子どもに関係する人は必読(保護者もね)

この本では、子どもたちを対象にした調査結果をまとめ、改善策を提言している。調査結果を詳細に分析する章もあるので、正直に言えば読みにくい。

また、本書における重要概念であるスキーマと記号接地に関する説明もあまりない。
今井教授は研究結果を精力的に発信している学者で、過去にもたくさんの一般向け著書を出している。
スキーマと記号接地の説明は過去の著作で詳細に説明されている。今回は過去作を受けて発展した内容を扱っているので、スキーマや記号接地もきちんと理解しようと思ったら、過去作にも当たる必要がある。

そういうわけで、決して万人向けではない。
しかし、そのことを踏まえても、なんらかの形で子どもに携わる人みんなに読んでほしい一冊である。

学校の先生はもちろん、保護者や地域教育に関わる人にも読んでほしい。
最近話題のところでいえば、部活動の地域移行を引き受けるスポーツクラブの指導者にも読んでほしい内容である。

ただし注意事項もある。

本書は、日本全国に大勢いるにちがいない、学校での学びにつまづいてしまった子どもたちにどう対処すればよいかを事細かに述べるマニュアルではない。(中略)教師は、あるいは子どもの成長にかかわっている社会の大人たち一人ひとりは、子どもたち一人ひとりの躓きや興味に気付き、子どもがもつ「学ぶ力」を開花させるように支援ができる「たつじん」にならなくてはいけない。本書は、そのためにまず知っておいてほしい情報を提供し、その道のりを歩んでいくための指針を述べた(後略)

「はじめに」より

ということである。

当たり前だが、この本を読んだからといって、子どもの学習や習得に関する問題がたちどころに解決するわけではない。

学校の先生方はがんばっている。

多くの子どもたちが小学校の学習につまづいている。
では、その子たちが中学生になったらどうなるのか。

中学学校に入って難しい数学を学べば、小学校で学んだ簡単な算数は自然と分かるようになるのだろうか。
ならない。

著者は、小学生の算数のつまづきを調査した後、中学生についての調査もしている。
その結果、小学校で生まれた「意味の不理解」は、確実に引き継がれていくことが明らかになった。
中学生になっても、分数や割合などの基本概念の意味を理解できない状態が続いている。足し算・引き算・かけ算・割り算の意味も分かっていない。その結果、数学はどんどん分からなくなる一方である。

雑に要約すると、小学校で「意味の不理解」が発生しているのが悪い。
とはいえ、だから小学校の先生が悪い、先生がもっと頑張ればいい、ということではない。
先生方は精一杯がんばっている。
ついでに言えば、学習指導要領を決める文科省の人たちもがんばっているし、保護者だってがんばっている。

みんな頑張っているのに、子どもの躓きは減らない。
なぜか。

何を教えるべきなのか、根本的な誤解があるからだ。というのが、この本の主張である。

子どもが学ぶべき「知識」とは何なのか

人はどのように学び、知識を得るのか。知識のとらえ方、つまり知識観は学習と切っても切れない関係にある。(中略)
筆者はこれまで、多くの学生や一般人に「知識とは何か」を尋ねてきた。多くの人に共有されている知識像はこのようなものだと思う。

・知識は「客観的な事実」の集積だ。
・知識は多ければ多いほど良い。
・知識はわかりやすく教えれば相手(学び手)の脳に移植できる。

残念ながら、これらの知識観は認知科学の膨大な数の研究から得られた知見とはかけ離れている。知識というものに対して、多くの人が大きな誤解をしているのである。

では認知科学の研究が明らかにしてきた知識の姿とはどういうものか。本書を通じて、このことについて読者にお伝えしていきたい

第2章「大人たちの誤った認識」


つまり、この本の最も大きなテーマは「知識とはなにか」ということだ。

子どもたちが小学校の学びでつまづいている。
知識を正しく得られていない。
その理由を突き詰めれば、大人たちが「知識とはなにか」が分かっていないことに原因がある。

知識が何なのか、教える側が分かっていない。
だから教わる側に正しい知識が育たない。

では実際に知識とはなんなのか…と続けたいところだが、それがこの本のエッセンスなので、ここで紹介するのは難しい。

最終的には、「知識を記号接地させること」が大切であるという話になる。詳細は本書を実際に読んでいただきたい。

最後に、この本の中でもっとも印象的だった言葉を紹介する。

わからない問題を繰り返し解かせ、繰り返し跳ね返されることは、「わかること」には絶対につながらない。

第2章 「大人たちの誤った認識」


この一文を読むだけでも本書を読む価値はあるだろう。

こういう書籍紹介の流れとして、最後に購入リンクを貼れば良いとは思うけど、やれば良いとは思うんだけどなーと思ってやらないのが常である。

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