津島祐子「夜の光に追われて」を読んで
わからないものはわからない。そう思うしかない。なぜこのタイトルなのか、結局最後までそんなことを考えてしまった。たぶん、そんなにこだわることはなかったんだろうし、読んでいる中でいちばん意識したことは語り手が1000年前の「夜の寝覚」の作者にあてた手紙とする部分の「愛する者の死に接した者が、どうその死に向き合ったのか」だったわけなのに、読み終わったときに真っ先に考えてしまったのはタイトルの意味がわからないということだった。本文中に、月夜の明るさを認知したときの感動や、それこそ「夜の寝覚」をベースに著されるので夜が出てくるのはわかる。しかし、なぜ「追われて」いるのか、もしくは「追われて」どうしたい、どうするのか?まったく想像できない。
P12(人文書院)
人が、たとえそれがどんなに小さな世界であってもなんらかの物語を書きだす時、いつはじまり、いつ終わるともしれぬ時の流れへの、そして、誰でもがそのごく一部分しか生きることができない人間自身への、不安、怖れ、怒り、恨み、悲しみ、がその人の手を動かしているのではないでしょうか。
不安、怖れ、怒り、恨み、悲しみによって突き動かされるさまを「追われて」と表現したのだろうか?そういえば漠然と今の私にもそういう感覚はある。投資でうまく利益を上げられなかったり、小心者なのだな、と嘆息するがそれは物凄く低レベルな話で…
P16
姉も以前、ポツンと私に洩(も)らしたことがありました。どんなに立派な、美しい庭でも、それが本当の庭だとは納得できないの。子どもの頃のあの、他人にはつまらないとしか言いようのない庭ね、あの庭しか本当の庭はないのよ。庭と言えば、あの庭しか考えられないんだから。
沈んだ記憶の沼をふと、すくい取ったようなさまって、哀愁を伴うよね。原風景って感覚は共有できるけど、それはあくまでその人だけがわかる景色だから。人生の半分を過ぎて、私は最近よく子どものころのことを思い出す。そういえば、初めて自殺しようとしたのは6歳のころだったか、もっと幼かったか。もちろん人生に絶望した、とかじゃなくて単に「死ぬってどういうことなんだろう?」と思って試しにやってみただけだ。なぜか二回頭から血を流すと死ぬって思いこんでいて、ブランコを漕いでわざと頭から落ちてみて二回目の頭からの出血があるかチャレンジしたのだ。今でもしっかりと後頭部に隆起したコブになっているのに、あれが初めての自殺未遂だったことを私は最近まで認識していなかった。それもなぜかわからない。
P17
ある男が私のもとに通いはじめ、そのことを自分の生の支えにするようになって、男はすでに妻のいることが辛くもなってきた、という経過はもう書いたことですが、その状態のなかで、私は妊娠し、男も私との間に子が生まれることは期待してくれていたし、その期待を信じることもできたので、子を持つことには存外、怖れを持たずに、無事、出産を終えたのでした。
もし予定外にセックスした相手の女性が妊娠したら、それでもその女性にとにかく嬉しいリアクションを示そう、とカッコつけたいわけだが、いまだにその機会は訪れていない。
P23
半年ほど前のことです。九年近く、私の手もとで成長し続け、すっかり少年らしさも見せるようになり、これからは少しずつ、こちらの方が頼りにしはじめるのか、という思いまで私に抱かせていた子どもが、急に、いなくなってしまったのです。そうとしか言いようがありません。
(中略)
この世からあの世へ移る時も、道も、千差万別です。その時が来なければ、誰にも予想できることではない。
私の子どもの場合は、不思議としか言いようのない旅立ちでした。子どもが静かに一人で、しかも心地良さそうに笑いながら迎えたその時が、謎として残されてしまっています。謎は私を息苦しく責め続けています。
今まで子どもを持ったことのない身からしても、これは辛い。突然に愛する存在を喪失する苦しみを受けるくらいなら、子どもを持たなくてよかった、と思ってしまう私もいる。40代になっても未婚で過ごしてきてしまうと、それこそ「童貞をこじらせる」と世間で言われるような屈折した精神をもってしまうのだろうか。それとも、心の弱さの露呈だろうか。
P35-36
どんな人間が生まれてくるのか、なにも知らなかったくせに、生まれてからは自分の望み通りだったと思い決め、そのすべてを受け入れてしまう。妙なものです。そして、すべて、と言うからには本当は、その死も一緒に受け入れていたはずだったのでしょう。ただ、自分の死んだあとのことにしておいてくれれば、子どもの死を見届けなくてすむ、と念じていただけのことだった、と言えるような気がします。
この世に生まれてきた人間の全員が、それは今までの数を考えただけでもおびただしい数の人間たちになるのですが、一人の例外もなく経験する死である以上、こわいもの、苦しいものであるはずはない。筋道とは言えないようなこの筋道を、私は見出だし、ようやく少し安心することができたのです。洗面所でめまいを起こした時、死の感覚のほんの一部分に触れたような気もしました。強烈な光に襲われてなにも見えなくなり、体が、というより、自分そのものがその光に溶け込んで行く。死のきっかけはさまざまです。体の痛みや、思いがけぬ事故への恐怖も、きっかけとしてはたとえあるにせよ、直接死につながるその時だけは、この世で見たことのないような光に自分が解放されていくという、むしろ最も心地良い感触を与えられるものかもしれない、と私には思えてしまうのです。子どもの残してくれた笑顔は、ちょうどそんな笑顔でした。
死を必要以上に美化しようという気持は、私にはありません。でも、結果的にはそうしてしまっているかもしれない。それならそれでかまわない、と思っているのです。今の私にはほかに考えようがないのですから。
ここで「光」が出てくる。なんだろう、後光みたいなもの?光に包まれ天国へ行く、というやつ?ただ、その光に「追われて」としたのはやっぱりなぜ?
P175
母は母で、子どもの死に苦しみ続けているのだということは、よく分かっているのです。悲しみや苦しみを必要以上に増すことはないのだから、死んだ子どもの残した物は片づけてしまった方がよい、と母のように思うのが、理性的な、常識的な考えなのかもしれません。
でも、私にはそれがどうしてもできない。子どもがあの世に旅立ったと思うからこそ、あなたにもこうして語りかける気持になったというのに、それでも、あの子は戻ってくるかもしれないじゃないか、と思い続け、戻ってきた子どもを落胆させないように、と自分の住まいを見張り続けずにはいられないのです。
こんなにも愚かな人間だったのか、と自分でも充分に、呆れてはいるのです。けれども、いわゆる理屈というものは、どんな場合にも必要なものなのでしょうか。私には、そう思えなくなっています。人間の存在は矛盾がせめぎ合って、はじめてその息吹きを得ているものなのではないか、という気がします。
頭で納得はさせることはできる。ただ、年月を重ねると「積もる」。そういえば私が飼っていた愛猫ソーマくんは膀胱のなかに結石がいくつもできていた。それが膀胱を傷つけ、はがれた細かな皮膚が結石を包み込んでいたそうだ。そのように致命傷になるのかはわからないし、もしかしたら心に負った傷をうまくかさぶたが隠しているのかもしれない。ただもしかしたら見て見ぬフリをしているだけで傷はまったくふさがっていなくて、そこから新鮮な血が流れ続けているのかもしれない。ふと気が付くと傷をえぐって出血を見て逆に安心感があるのかもしれない。その一方で真逆に楽しい、幸福な経験が心を豊かにしているのかもしれない。それもわからない。人それぞれ、という安易な相対論には逃げたくはない。私の場合はどうだろうか?正直に言えば、30年ほど一人暮らしをしていて、一人でいることは楽しいのだけれど寂しかったり飽きが来ているのでどちらかと言えば負の感情が若干多めかな。
P184-185
こうした私には、最近、死んで早々のとびきり新鮮なある種の臓物なら、同じところを病んでいる人に移し変え(本文ママ)、その人を救えるようになったと聞いても、それが朗報なのか悲報なのか判断がつけられないのです。
子どもの命を救う手段が実は、ひとつだけ残されている、と聞かされれば、私も無我夢中でその可能性にしがみついてしまうことでしょう。ですから健康な臓物を誰か死んだ人から貰えれば助かると聞かされて、その機会を待ち望んでいる人の気持ちは分かります。
でも、子どもに死なれた親の気持としては、先に書いたように、形が変わり果てても、なにか奇跡が起こってくれるかもしれないという期待を捨てきれずに、亡骸にいつまでもしがみついてしまいます。死因を探るために、子どもの体を一度切り開かれたことも、これが今の世ではなかったら、と口惜しく、悲しく思い続けているのです。
こうした残された者の妄執からは、子どもの、まだ硬くさえなっていない体から、臓物が持ち出され、それで人の命を救ってしまったとしたら、と考えるだけでも、耐えがたい気持になります。子どもの死を無神経に踏みにじることで、人の命を救いたい、などと、どうして思えるでしょう。
こちらも死んでしまいました。そちらも、ですからどうぞ、死んでください。
正直に言えば、これだけの気持しか持てないのです。冗談じゃない、人の死は簡単に受け入れておいて、自分は助かろうとしたところで、一体、不死身の体になれるとでも思っているのですか、と。
正直に言えば、と私はよく書くけれど、実は正直ではない。というより、自らの至らなさによって、精確に表現できていないのだ。だから、正直に文章を書くことのできるのはそれはすごい才能だ。
P188
身近な人たちの不幸を待ち続けながら、でも、本当にそんなことが起こってしまったとしたら、その遺族と特別な友人になれるどころか、申しわけなさで到底、その人たちに近づけなくなってしまうだろうし、向こうも私を疫病神として嫌うだけのことになるかもしれない、と思い、一人で勝手に悩んでもいました。実際には、身近な人たちに私の子どもの悲運を特殊な、限定されたこととしては受けとめて欲しくない、よそごとではなく、自分の子どもたちの生にもありとあらゆる形で、死はまつわりついているという事実を知って欲しい、見届けて欲しい、と思っていただけのことだったようです。
けれども、そうした死に気づくには、どうも人間は、現実に死を体験しなければならないらしい、と自分自身の変わりようから思い知らされてもいたので、絶望的な気持を持たずにいられなかったのです。
私も今の世の人間の一人として、死に鈍感なまま生きていました。
「20年後、あなたは何歳? (この本を)読めば不安が解消」と、通勤電車の広告にあった。これは「20年後に生きている」「人間は不安を抱いている」この2点を前提にしている。後者は不安を煽るお決まりの商法だが、前者の前提を、私たちは当然のこととしているのが現代だ。70歳を越えた総理が2050年までに行う政策を高らかに宣言し、老後資金は2000万必要だと言う。この小説を読むにつけ、なぜ現代人は医学が進歩したから、と明日死ぬ可能性を現実のものと出来ないのか、問題提起したくなるが、一方で理解しつつあるようにも思う。正常化バイアス、というやつだ。
P191
赤ん坊の死に狂おしく泣く母親の傍を、妊娠初期に自分の意志で中絶した母親たちがあるいは中絶させた父親たちが、その中絶を思い出しもせずに通り過ぎていきます。
経験していないからわからないのだけれど、経験したかのような気分にさせる、という表現はとても陳腐で、とにかくセンテンスが心に刺さってくる。鋭すぎてこっちもタダでは済まない。だから身構えながらずっとこの本を読んでいたようにも思う。私の好きな小説家は太宰治なのだが、その娘として本人は意識していないだろうけれど、時折こちらが意識してしまう。戦略でやっていたら恐ろしいし、本当にすごい。「ただ、いっさいは過ぎていきます」「恥の多い生涯を送ってきました」そのフレーズを思い返す部分があったのだ。そうしてもしこの小説を読んでみた聡明な方ならすでに気づいているだろうけれど、まったく引用していないのが「夜の寝覚」の部分であり、かなり逃げるように斜め読みしたことは告白しなければならない。ノリが合わないところがあった。私は「なんて素敵にジャパネスク」のノリ、つまり平安時代のオットリした雰囲気をお転婆な姫がかき回す、なら面白く読むのだが、「日出処の天子」のような腐女子が好きそうなノリで来られると引いてしまうところがあるのだ。ただそれは、語り手の手紙の部分に早く行きつきたかった焦りもあるだろう。
P357-358
私もあなたたちもどうやら、同じもので共に救われているようなのですもの。空の輝きに通じ、雪の眩ゆさに通じるなにかに、人は死んだのちも包まれ続けている、と信じてもかまわないのですよね。……祈るということが、私には今までどうしてもできずにいました。
要求を出したり、不平不満を洩らす、ということとは違う祈りの意味が分からなかった。でも、今まで私は祈りという言葉にこだわりすぎていたのでしょう。浄土を空の輝きに感じることができるのなら、空を見ていれば、それでもう、祈りという行いに私は近づいているのかもしれなかったのですね。
美しいものを美しいと思える心が、すでに祈りだったと言えるのでしょうか。……でも、私はまだ、子どもが手もとに戻ってくる夢を、未練がましく見続けているのです。私に死が許される日まで、子どもを諦めることはきっとできないのでしょう。その心は心として、花に見とれ、空に見とれて生きていく、ということなのでしょうね。……
去年の10月に亡くなった母がガンだと分かって手術してからだから、もう1年半くらいになるのだろうか、仕事先の近所にある八王子の子安神社で、鳥居の手前に立って仕事のあるたびに手を合わせに行っている。母が存命の頃は1日でも長く生きることを祈ったが、やはりお賽銭を出さなかったケチをとがめられたのかその願いは果たせなかった。ただそれ以降も手を合わせることを継続している。そして、何も祈らない。何も考えず手を合わせ神社の本殿と自分が繋がっているようなイメージを頭に浮かべる。この最後のほうの文章を読んでいるとき、何も考えないことも祈りなんだな、と得心した。この小説では自然の機微だが私のなかではもっと大きなものに包まれているような安寧さを日々感じる。それが至福というものなのだろうね。それにしてもなぜ「夜の光に包まれて」にしなかったのだろう?あ、こうしちゃったら宗教っぽくなりすぎちゃうのかなw 「時間」に追われる、と表現がある。そういうことも念頭に置いたのかもね。1000年前から現代へと繋がることの濃密な音だ。そういえば時が流れるのにも音がある、と最初にあってそれも良い表現だった。
この感想文を書こうとしたとき「死への向き合い方」であるとか「生者としての在り方」を考えた素晴らしい小説!という目線で行こうと考えていたし、介護福祉士の試験に合格したことをドヤ顔でどこかに忍ばせたいと思いながらここまで果たせなかった。ああ、あと私見として「コロナウイルスワクチン接種を高齢者と基礎疾患を有する者ら重症化リスクのある人たちに一通り接種し終わったら感染症5類、すなわちインフルエンザ扱いにすべき」とか「東京五輪は基本的にナショナリズム高揚の意味で反対なんだけど、人々へアスリートたちが希望を与え、国民が盛り上がるならやってもいいという政治家やJOC任せの曖昧な立場にいる」なんて政治的な主張も展開したかったことを付け加えておこう。どうなんだろう?コロナウイルスに対して「疲れ」たり「慣れ」たりしているのかな。わからないな、日常になってしまったね、マスクして外出とか。ただ一つ言えるのは、飲食店でいちいちマスクを外して食べ、またマスクをつけてしゃべる、そしてまた外す…いわゆる「マスク会食」なんてするくらいなら飲食店に行かない!なんだこの理不尽な強要は!と思っていることは言いたい。
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