小説(物語)は誰のためのモノか? / 20240804fri(2013字)
創作メモとコラムの二部構成。
昨日の早朝、上のパラグラフを書いた。
主要キャラ(メインストーリーの主軸の視点)のセナが死んだ。
このとき筆者は思った。キャラが死んでも次の瞬間にいくらでも生き返る、それが創作だ。それと同時に筆者のあたまに奇妙な願望が浮かんだ。「セナがいなくなった世界だってあるはずだ。そんな世界を描いて見たい」そこで、下記の⑶パターンが浮かんだ。悩んだ結果⑶を選んだ。
⑴セナが死んだままつづく世界。その世界は筆者の興味をそそられるものだ。まさにジャズ奏法だ。だが、ネバーエンディングストーリーにはならないか?
⑵セナがまた生き返る世界。
➡︎死んだキャラが簡単に生き返る世界(展開)。それは筆者のエゴなんじゃないのか? 死んだキャラの復活にはそれ相応の文脈(理由)がなければ物語に読者はついて来ないんじゃないか?
⑶⑵のパラレル世界➡︎リョウが《ある保険》を掛けていた世界だ。リョウは何万回とセナの救助作戦に失敗をした。そのなかでリョウはある事実に気づいた。それはあるタイムパラドックスだ。「じぶんがセナの救出に関与しているから、セナは死ぬのでは?」いくらじぶんでセナを助けてもセナは必ず死ぬ。ならば、セナの死後にセナを蘇生させる使者(じぶんでないだれか)を派遣させればいい。それが「リョウのタイムパラドックスの保険」だった。
コラム。
「七章の地下帝国編はまるごと省けるんじゃないか? 」
これも浮かんだ。
なぜなら、ここまで一つの作品で千枚(四十万字)と描いてきて《この小説作品では現時点でいまのじぶんがやりたい(できる)試みはほぼすべてやり切ったのではないか? 》そのやり切った感が筆者のなかに沸いて出てきたのだ。
小説(物語)は誰のためのモノか?
これは、小説「上陸者たち」の裏テーマ(筆者の小説を執筆するライフワーク)にある。物語に描かれた文字の部分、文字にならなかった部分、それらのどこまでが小説世界に関与をするのか? これは「上陸者たち」のストーリー展開における大命題だった。
極論を言えば、小説は落語の三題噺のように、延々と書き続けることができる。だが、物語はどこかで終わる。それは読者がいるからだ。
落語で言えば、そこに寄席があって木戸銭を払った客が座っている。興行主(出版社)ならば、お客が帰る時間(読者が好きな時間に本を閉じる瞬間)つまりお客(読者)の生活を最優先にしなければならない。お客(読者)は寄席(書籍)に木戸銭(お金)を払っているのだ。その慣例が集金システム化されたカタチとなって寄席(落語団体・落語協会)や出版業界(編集者)となったのだろう。
出版業界においてお金を払って読んでくれる読者に向けて、ある程度の《オチ・サゲ》は必要(オンラインで物語が逐次アップデートされる書籍媒体などはサブスクリプションの別問題となるが)だ。だが、落語ではサゲは物語のオチとしての体(テイ)をなさない。サゲはただの終わりの確認だ。落語を観にくる観客はサゲに期待していない。ある読者は小説作品にじぶんが求める結末や起承転結を期待する。だがそれは小説作品(その他の創作コンテンツ)に対してちょっとお門違いという気がする。解釈は受け手の自由だからだ。だがそれでも、プロの編集者は「物語には起承転結をつけよ」と作家に求める。「それじゃあ、売れませんよ」と。ぼくはそこに問題提起はしない。なぜなら作者はじぶんの内側に潜む新たな世界を開拓する生き物だし、編集者は「作品」を従来の売れる形にはめ込んでヒット商品を量産したい生き物なのだ。そのじぶんの世界を見たい作家とヒット商品を生み出したい編集の作品づくりにはかならず衝突(二律背反)が起こる。作品づくりで衝突が起こらない(例えば筆者が編集に折れて編集の意のままに書くような)共同作業は過去のヒット作を盲目的になぞっただけの駄作になるに違いない。さらに、そんな作品だれも読まないとぼくは思うのだが。もちろん今流行りの「もしも転生モノ」のような一時的な時代の流れで、売れることはあるだろうが。少なくともぼくはそれは書けない。
古典落語の演目《饅頭こわい》のサゲで、
「おーい。熊おめえ、こんどは何がこわいんでえ? 」
「ええ、こんどは熱いお茶が怖いです」
寄席に来るようなお客は、この《下げ》はだれもが知っている。少年ジャンプでも読者はみんなラストは薄々は知っているのでは? それは純文学でもラノベでも言える。転生モノでも、海賊漫画モノでも、BLモノでも、悪女復讐モノでも。ハリウッド映画にしろネットフリックスオリジナル映画にしろ、黒澤明にしろ、小津安二郎にしろ、観ればみるほど《物語の筋(脚本)はそのようにしか進まない》オーソドックス(正統的)な筋立てになっている。《物語は語り尽くされた。どのように語られるか》それが現代の物語の運命なのだ。
短歌:
小説を
描きつづけて
三千里
見えた新たな
地平と闇と
この記事が参加している募集
よろしければサポートおねがいします サポーターにはnoteにて還元をいたします