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何もかも憂鬱な夜に / 中村文則

2019/08/25 21:24

随所、いまの日本の死刑・裁判制度など、わたしが日々おもう違和感を、つよい意思によって代弁してくれるかのようで、前半は特にうなずきの連鎖が起きた。そしてまた、真下のノートのなかでは、わたしの感じていることがそのままかきうつされているみたいで、こわかった。わたしにも、真下のような気持ち悪さが、あると、認めなくてはいけないような気がした。しかし、わたしが真下のように死を選択しないのは、施設長や主人公が推奨するように、文学や芸術などに触れ、すばらしいものや好きなものと向き合うように、意識しているからだとおもう。この本がこれだけ長く推薦されるということは、きっと真下のような人は少なからず存在しているということだ。これが現実的とかけ離れたことであれば、この小説は早々に沈み、10年ものあいだ重版されつづけることはないだろう。ただ、大きな声をあげられないだけで、真下のような(わたしのような)人間が、いたるところに潜んでいるはずだ。また、じぶんで命を絶つ人と、わたしのあいだに、それほど差はないように感じた。ほんの僅差で、わたしは今日も生きているんだなと思った。死ぬ勇気がないからだとか、そういうことではなく。今、わたしが生きてる故を、実感した。
一字一句は忘れてしまったが、恵子の、今日を生きているならそれを続ければいい、というような言葉に、救われた。今日生きれたから、明日も生きれる。
しかし、ギリギリに神経をすり減らしながら生きる毎日は、もうやめたいなと。やっと、いまのわたしには向上心があるから、少しでも、1ミリでも、1秒針でもいいから、昨日のわたしよりよくなりたいと、最近は思っている。ただその「よく」の意味もまた、じぶんらしく考えていけたらいいのではないだろうか。じぶんの考えのなかで、情報は選んで吸収し、よりよく生きていきたいとつよく思った。なんのためにだろう。あたまでは整理しきれなくなるあの感覚に苛まれたとき、決して、みずから死ぬことを選択しないために、だ。わたしは、憂鬱な夜を何度も何度も何度も、越えてきて、でも、これからもきっと何度も越えていく。越えられず日の目を見れないことがないように、明日への期待をすこしずつ持てるように、今日を昨日よりよりよく、生きていけたらいいのではないか。
ひとつ、この小説が世に出てから10年経つわけだが、現時点でもうなずけてしまう事実に、日本が変わっていないことを想う。さまざまな情報が混沌としているような印象がある現代では、すべてを一気に解決することが難しくなっている。自由が、自由ではなくなってきている。だから、日本という国全体で見たとき、ひとりの人間と同じように、すこしずつでも変えていく努力をしなくてはいけないなと感じる。10年、少なくともこのテーマに関して、国はなにも変わっていないように思うので。問題は思ったよりたくさんだ。
この小説を生み出してくれた著者、中村さんに感謝の意。わたし、この意は、生きることで表明しよう。


メモ : 店頭で買った。本買いすぎだったので悩んだけど、又吉さんが解説を書いていて、それを知って即決めだった。とーーーてもよかった。解説に、全部が詰まっているな。やっぱり、又吉せんせ好き。中村文則さんの小説、ぜんぶよみたいという勢いで惹かれた。


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青い朝
最後までありがとうございました。 〈ねむれない夜を越え、何度もむかえた青い朝〉 そんな忘れぬ朝のため、文章を書き続けています。わたしのために並べたことばが、誰かの、ちょっとした救いや、安らぎになればうれしい。 なんでもない日々の生活を、どうか愛せますように。 aoiasa