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最高の映画化 | 映画「ルックバック」感想

 原作は3年前だって。時間が経つのが早すぎてヤバい。原作が好きなので見に行かないという選択肢はなかったわけだよね。もちろん、派手な映画ではないから、わざわざ映画館に行かずに配信を待つという人もいるだろうけど、映画館へ見に行くというのがいいんだ。周りの観客も環境も上映時間も全く自由にならないけど、あえて映画館へ行く。それがいい。この映画は周りの泣き声がちょっとノイズになっちゃうかもしれないけどね。

あらすじ

学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野。
クラスメートから絶賛され、自分の画力に絶対の自信を持つ藤野だったが、ある日の学年新聞に初めて掲載された不登校の同級生・京本の4コマ漫画を目にし、その画力の高さに驚愕する。
以来、脇目も振らず、ひたすら漫画を描き続けた藤野だったが、一向に縮まらない京本との画力差に打ちひしがれ、漫画を描くことを諦めてしまう。

しかし、小学校卒業の日、教師に頼まれて京本に卒業証書を届けに行った藤野は、そこで初めて対面した京本から「ずっとファンだった」と告げられる。

漫画を描くことを諦めるきっかけとなった京本と、今度は一緒に漫画を描き始めた藤野。
二人の少女をつないだのは、漫画へのひたむきな思いだった。
しかしある日、すべてを打ち砕く事件が起きる…。

公式より

 付け加えることのない完璧なあらすじ。素晴らしい。

感想

 もうね。最高。これ以上の言葉は必要ないぐらいのものを見せてもらえた。原作が好きな人はつべこべ言わず見にいった方がいい。特典でもらえる本もたぶん今しかもらえないものだろうし、気になる人は映画館へ突撃した方がいい。絶対に損はしないから。

 正直、これで終わっていいぐらいの作品ではあるんだけど、あえて言葉を費やす必要もないとは思うんだけど、ここで終わると感想にならないから素直に自分の感じたことを書いていこうと思う。

 とりあえず音楽がいいよね。なんか有名な人が担当してるみたいだけど、ボクは音楽無知なので全然知らないのは申し訳ない。いろんな気持ちが動くようなシーンでちょっとうるさいぐらいに音楽が流れてきて、それがすごくあっていたと思う。一つ文句があるならもう少しボリューム下げてもいいと思うかな。

背中

 この作品では背中が象徴的に扱われている。藤野が必死にマンガを描いている背中だね。藤野は机に向き合っているだけなのだけど、それを見ている観客はずっとその背中を見ることになる。ただ、マンガを描いている姿を幾度となく見続けることになる。この映画の中で藤野はひたすらマンガを描き続けているだけだから、最初から最後までマンガを描いているわけだから、もう背中を見せられるのは仕方がないことだよね。

 要するにこれは、ドラゴンボールや鬼滅の刃の修行シーンと同じなんだろうね。悟空や炭治郎が強くなるために死ぬ気で頑張っているのと同じように、藤野が自由になる時間の大半を費やしてマンガに打ち込んでいる。情熱を注ぎ込んでいる。混じり気のない衝動を見せつけられる。

創作してなくても伝わる

 藤野の背中を見て観客が何を思うのか。それは人それぞれではあるんだろうけど、何ていうのか、伝わると思うんだよね。創作していようが、創作していまいが、藤野がマンガに命をかけていることが。魂を注ぎ込んでることが。だって、そういう風に見えるようにちゃんと描写してるから。

 季節が変わってもひたすら机に向かってる姿、友達関係が破綻するぐらいマンガにのめり込んでる姿、絵の参考書がどんどん増えていく様子、描き終わったスケッチブックの束が増えていく様子。普通に見ていれば見逃すはずもないし、そこにかける情熱の炎の熱さを感じないわけがない。

藤野と京本の関係性

 ボクがこの作品で一番好きなのはこの部分。二人の関係性だよね。

 一人で学年だより?に描いていただけの藤野。マンガをロクに読んでいない同級生や大人たちは、藤野のまだまだ下手くそな絵を絶賛している。井の中の蛙。そこに現れる京本という才能。会ったこともない京本はあまりの実力差に藤野は火をつけられて死ぬほど努力して絵とマンガに取り組み始める。

 しかし、周りの人間は藤野の情熱をまるで理解してくれない。マンガをやめるように言ってくる。それを唯一理解してくれるのが京本だった。ただ一人の理解者。そしてライバルでありパートナー。

 卒業式の日、藤野が京本の家に行った時、スケッチブックの山を見て、自分が敵わなかった理由を理解するところ。あそこが本当に好き。努力が足りてなかったことを思い知らされると同時に、ゾクッとしてる表情がいいよね。

 それから、藤野と京本と初めて会ったところ。あれだけ上手かった京本が自分のファンで、めちゃくちゃ褒めてくれてすごい嬉しいんだよね。喜んでるんだけど顔に出さず、そっけなく帰っていく。そして、歩きが小走りになり、小走りが全力スキップになる。感情が爆発する。エモーショナル帰り道。マンガ版では見開きになってるあれ。アニメになってもよかったよね。あそこは本当に最高。

 それから、京本が美大に行きたいって言うところ。藤野は京本が自立しようとしているのを最初は平気な顔していたけど、耐えきれずに必死で止めようとする。京本は藤野がいなかったら外に出ることはできなかった。同じように藤野は京本がいなければマンガを描き続けることはできなかった。二人とも互いを必要としあっていたんだけど、ついに訪れる自立の時。京本より大人ぶってるのに、それを認められない藤野もいいよね。

 後半、藤野は自分が京本を外に連れ出したことを後悔していた。京本を外に出さなければ、誘わなければ、あんな最後にならなかったと後悔する。だけど、やっぱりその後悔は正しくないんだよね。京本は藤野に救われたように、藤野も京本に救われていた。藤野だけの意思じゃないんだよね。京本も望んだことだから仕方のないことではあるんだよね。

 二人の関係をもっと見たかったんだけど、本当にあっという間に終わってしまうよね。悲しいね。

おわりに

 気になるなら見に行こう! 泣き声が気になるかもしれないから、人が少ない時に行った方がいいかもしれないね。


超余談(見なくていいやつ)

 Twitterとかで、「この映画は創作したことある人しか理解できない」とか「創作したことない人には刺さらない」とか「この映画が楽しめる側の人間で良かった」みたいな、本当にどうしようもないレベルの妄言を見かけて本当に不愉快だった。

 お前のマウントの道具にこの映画を使うんじゃない、と言いたい。他人を見下したり、自分を特別だと思いこんだり、くだらない優越感に浸ったり、しょうもないマウントを取るのは勝手だけど、この映画をダシにするな。利用するな。

 ゴミみたいなマウントは猿山でやってくれ。モンキー🐒はモンキー🐒相手にマウント取っててくれ。人間の言葉を使わないでくれ。

 創作してるオタクって本当にクソなんだけど、自分たちが特別だと思いたがるんだよね。創作しているから、創作していない凡人より優れている思い込んでる。創作してない人間を見下したりする。はっきり言って、創作なんかしても人間は偉くならない。創作してるから人格が優れるわけではない。なんなら創作をすればするほど人間はクソになる。だから、創作でマウントなんてとるな。恥ずかしい。

 これは本当は書きたくなかったんだけど、本当にムカついてて書いてしまった。申し訳ない。

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