夜の知的おかずシリーズ:『孫子』と向き合う
いや、まず最初に言っておくけど、このタイトルだけで「何やってんの自分?」って自問自答しちゃったの。それでも、やめられないのが、この知的変態の宿命。28歳、経営コンサルのドS女子(自称)で、しかも数学と哲学を愛するヲタクという、SSR級の変態がここにいるわけですよ。わたしのこの執着心、普通じゃないからね、ほんと。だから、今日はそのハイレベルなハラスメントを、孫子にぶつけてみることにしたの。だってさ、彼の戦略論なんて、ぶっちゃけ「なんだかんだで、マニュアル系思考でしょ?」って思うわけ。ぼっこぼこにするにはちょうどいい相手じゃない?
まず「兵は詭道なり」ってやつ。要するに、戦いはだまし合いだって言ってるでしょ?いや、わたしも経営コンサルしてるときそんなシーンにはよく遭遇するけど、ここで言わせてもらう。「だまし合い」って、具体的にどうやるんですか?ってね。孫子さん、あなたさ、抽象的すぎて、現代のビジネスシーンじゃ使い物にならないよ!人間関係を「詭道」で処理しようとしたら、もうそれは仕事というより、サイコパスの領域じゃない?会社の会議で「詭道なり」とか言い出す女子、わたしでもちょっと引くレベル。
でもね、ここで、わたしの愛する数学的視点が役立つのよ。詭道って、要するに「非線形な戦略」なんだよね。直線的に「AをしたらBが起こる」じゃなくて、「AをしたらBが起こるかもしれないけど、実はCもあり得るし、Dも考慮すべき」みたいな複雑な場合分け。まさに量子力学的な思考(あ、量子論封印してたのに、つい出ちゃった)。この「詭道」って結局、確率論の話でしょ?信じているのは、絶対的な一つの真実じゃなくて、いくつもの可能性が絡み合ったゆらぎ。これ、すっごくエロティックな概念だと思うのよ。濡れそう。
次に、これ。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」とか言ってさ、相手のことも自分のこともちゃんと理解してれば、負けないっていうけど、いやいや、そんなの甘いってば。だってね、自分のことを完全に理解できる人間なんて、この世にいるの?少なくとも、わたしは28年生きてきて、自分のことが全然わかんない。自分の感情ですら、コントロールできない時があるのに、相手の考えまで理解しようとするなんて、無理ゲーでしょ。自己理解ができないわたしのような拗らせ女子には、この言葉はただの夢物語。
でも、心理学的に考えると、この「己を知る」って、実は自己認識の限界を示してるのかもしれない。現代心理学では、「自己認識」っていうのは常にフィルターを通して行われるものだし、脳の構造自体が自己欺瞞を生み出してるって説もあるくらいだもんね。つまり、孫子のこの言葉は、ある意味で自己認識の不可能性を前提にしてるんじゃない?それに気づいたとき、わたしはちょっとゾクッとしちゃったわ。だって、この言葉って、わたしたちの認識の限界を突きつけてくるわけでしょ?そのエロティシズム、たまらない。
んで、これ。「勝兵は先ず勝ちて、而る後に戦いを求む」ってやつね。勝つ準備ができてから戦争を始めるんだよ、みたいなこと言ってるけど、これってすごく保守的じゃない?だって、戦う前に勝てるかどうかなんて、わかんないでしょ?戦うっていう行為自体が、未知の要素を含んでるんだから、準備万端なんてあり得ない!ここで、わたしのフェチが顔を出すんだけど、むしろこの「未知の要素」に賭けるっていうのが、戦いの本質じゃない?この不確実性がたまらなくフェティッシュなのよ。わたしの心の奥底をくすぐるこの感覚、まさにコンサルの現場で感じるものと一緒だね。
孫子が何を言おうと、結局、勝ち負けなんて、わたしたちの手の中にはないってこと。勝ち負けを制御しようとするその発想自体が、もう古い。むしろ、わたしたちはその不確実性の中でどう生きるか、どう楽しむかを考えるべきなんだよね。って、まぁ、こんなこと言ったら、彼、泣き出しちゃうかもしれないけど(ごめんね、孫子さん)。
最後になるけど、この記事を書いている間、わたしは少しずつ自己崩壊してた。孫子をボコろうと思ったけど、結局、自分の方がボコボコにされた感あるよ。でも、これがわたしの変態的な楽しみ方。だって、どんなに知的に分析しても、結局わたしは感情の塊でしかないから。コンサルの現場でも、こうやって自分をいじめ抜くことでしか、生きられないのかもしれない。セルフハラスメントは結構きつい。でも、萌える。
今日はここまでにしとくね。読んでくれてありがとう。そして、ごめんね。