『ニコラ・テスラ』に濡れる アラサー女子のはずかしい日記
わたしは濡れている。いや、これは誤解を招く表現かもしれないけど、まあ、誤解されてもいい。誤解されるというのは、つまり「わたし」という存在の輪郭が揺らぎ、他者の想像力に浸透していくその瞬間だから。ほら、テスラの思考もそうだったでしょ?揺らぎ、そして浸透し、誰もが理解できないけれど、なぜか嗅覚的に「感じて」しまう不思議な感覚。それがわたしを濡らす。物理的な濡れではなく、もっと深い、精神的な、いや、もう少し湿度の高い濡れ。
さて、ニコラ・テスラ。この名前を聞いた瞬間に、あなたは電流を感じたかもしれない。あるいは、フリーエネルギーの幻影が一瞬脳内を駆け抜けた?どうでもいいけれど、彼の思考のコアに触れるということは、まるでその電気のように、全身を駆け巡る知的な感電を意味する。わたしがそれを「濡れる」と表現したのは、ちょっとした知的エロスのニュアンスを込めてのこと。だって、頭の中がビリビリしながらも、なぜか心地よく、その心地よさがじんわりと広がっていく感覚って、そう、まさに濡れた感触そのものだから。
テスラの思考のコア?それは「直感」と「論理」の間に漂う霧のようなもの。ある意味、彼は霧の中を手探りで進みながら、明確な道筋を見出す特殊な能力を持っていた。わたしも、その霧の中を歩いてみたいと思った。だからこそ、このブログを始めたんだよね。28歳、経営コンサル、変態、そして、テスラ的思考霧中歩行者。これがわたし。
霧の中で何を感じたかって?まず、テスラの「異常な執着心」。あの人、変態だよ。もちろんわたしも変態だけど、彼の変態具合はSSR級。彼の執着は、まさに電気に対する欲望。電気を操ることが、彼にとってはエロティックな体験だったんじゃないかって本気で思ってる。だって、彼の発明の数々は、まるで恋人に触れるかのように電気を愛撫し、そして形作っていったように見えるから。わたしも、そんな風に一つの思考に執着し、愛撫してみたい。
でも、テスラの思考の表層を追うだけじゃ満足できない。わたしはもっと深く、もっと湿ったところまで潜りたい。そう、根っこをたどって、彼の思考の地下深くにある「孤独」に行き着かないといけない。テスラは孤独だった。彼の発明が世間に理解されることは少なく、彼は常にその孤独の中で電気の女神と密かに語り合っていたんじゃないかな。わたしも、孤独だ。いや、もちろん友達はいるし、仕事もある。でも、真夜中にひっそりと電気スタンドの下で、わたしだけの「何か」と対話する瞬間、この孤独感がひしひしとわたしを濡らしてくるんだ。
ああ、この湿り具合。なんだか、わたしの思考がテスラの思考と重なってきた気がする。彼が目指したのは、ただの発明じゃない。彼は「エネルギーの自由」を夢見た。エネルギーが自由になるって、まるで人間の感情が自由になるようなものじゃない?わたしの感情も、こうしてブログを書きながら自由に濡れたり乾いたりしてる。時に湿りすぎて息苦しい。時に乾きすぎてカサカサ。まるでテスラコイルの放電のように、感情がバチバチと火花を散らして混乱してる。
しかしながら、テスラが求めた自由は、彼をさらなる孤独へと追いやった。わたしも、こんな風に自分の思考を無駄に深掘りしていると、結局誰にも理解されないまま孤独になるんじゃないかって思うんだよね。ああ、でもそれでいい。わたしがわたしを理解していれば、それでいい。テスラもきっとそうだったはず。彼は最終的に誰にも理解されなくても、その孤独の中で濡れていたんじゃないかな。
最後に、謝っとくね。こんなに湿った思考に付き合わせてごめん。