コミュ障アニメオタクが留学に行けた理由。【アニメ先生Yuukiの生き方①】 #お仕事図鑑(Podcast配信中)
もし、自分の子供が毎日アニメを見るばかりで、人とのコミュニケーションが苦手なら不安になるかもしれません。
このままいけば、例え大学を卒業しても就職活動の面接で落ち続けるかもしれない。
「どうしたものか…」将来を心配するかもしれません。
しかし、
「大丈夫。」と言える人がいました。
高めの身長、すらっと長い手足、日本人離れした豪快な笑顔で、親指を立ててグーサインをしながら「僕も昔そうだったから」そう話してくれます。
アニメ先生 ゆうき(Yuuki)
ひと昔前なら信じられない仕事ですが、
インターネットで世界がつながった今、
しっかり生活が成り立つ仕事の様です。
ゆうきさんは楽しそうにその実態と経緯を話してくれます。
ー こんな仕事にどうやって辿り着くんでしょうか。
「大きなきっかけは留学に行ったことです」
ゆうきさんはしっかりと言葉を選びながら話してくれます。
「大学では公務員になる準備をしていたんです。でも就活の時、 一次の筆記は受かったけれど、二次の面接で落ちちゃったんですよね。実は当時の僕は、人と目を合わせてまともに喋ることができない、いわゆるコミュ障だったんですよ」
ー 今からは想像できないお話ですが。
「いやいやいや、もうほんとにね。でもそれで、公務員落ちました。じゃあどうしよう。民間も受けようって受けるんですけど、もう全然面接で喋れないんですよ」
「その頃、父から突然に勧められたんです。
どうせなら海外でも行ってみたらどうか、と」
「でもその時は全く行きたくなくて。オタクだし、引っ込み事案だから。かなりの時間、考えました。考えたら、このままだとやばいかも。まともに人と喋れないで、社会人になって、やばいなって思って。それで「頑張る」って決めました」
「就活とかも抜きにして、まずは人間らしく、コミュニケーションが取れるようになるぞ。要はこれは修行だと、コミュ力の。そう決めました」
「だから向こうでは引っ込み思案な自分は捨てて、キャラ変をして、かなりもう前向きにクレイジーなやつっぽく振る舞って行こう‼︎って、 カナダのバンクーバーに行きました」
たしかに環境を変える事で変化する人は多い。けれどもよく引っ込み思案の人がそこまで思い切ろうと思えたなぁ、と感心していたら、そこにはゆうきさんのご両親の姿が影響している様だった。
両親の模範
「正直それまで大きな失敗って全くなかったんです。いい子ちゃんで、反抗期もほとんどなかった。自分で言うのもあれだけど。」
「うちの父が反面教師だったんです。とても豪快な人で。見てると、ほんとに恥ずかしいような。母と自分は一緒になって「またあんなうるさい声で電話してやあね」みたいな感じでした。」
「でも、その父が言ってくれてたんです。
バカを演じられるようになれ、と」
ずっと気にしてなかった父の言葉が年齢を重ねるほど意味がわかってくる、おおらかに笑いながら話すゆうきさんの姿は豪快なお父さんの姿が垣間見える気がした。
「あとこんな原体験もありました。言ってしまうんですが、僕は割といじめられっ子だったんです。 周りをすごい気にする部分があって、あのhsp。それで周りと上手くやれないことが多かったんです」
「そして、気にしいなので、日本のどこかで自分がきもいって言われてそうって被害妄想もあって」
「当時はオタクっていうアイデンティティーも、あまり周りには言えなくて。でもね、アメリカのことわざに”What happens in Vegas, stays in Vegas”って言って、意味は”旅の恥はかき捨て”に近い。ラスベガスで起こったことは、そこにとどまる、地元の人は知らないから、もういいくらでもハメ外していいよねみたいな。」
「日本にいるうちは、日本人が見てるけれども、カナダにいるうちは、俺のことを知ってる人なんて誰もいないっていう安全があった。だからこそ、だから、もうね、すごいはっちゃけれた。」
笑いながら話す姿からはコミュニケーションがやはり苦手な様には感じない。
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ここまでが【アニメ先生ゆうきさん】との記念すべき第1話。
とても興味深い話。一般的に、知り合いが誰もいない世界に足を踏み入れることは大きな不安を感じそうだ。でも人によっては知り合いがいない方が「安全だ」と感じる。だからこそ、新しい自分、自分が良いと思える自分への一歩を踏み出せる。
お父さんの突然の勧め、「バカを演じる」、「知り合いがいない安全」を得たゆうきさんの大胆な行動はまだまだ続きます。
続きは、また次回。
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アニメ先生Yuuki 第2話