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泡日記5

母の見舞いの合間を縫って父がひとりで待つ実家を訪ねる。実家という言葉にいつも引っかかる。私がこの地で生活したことがないので実家=故郷の意識がなくていつももごもごしてしまう。両親が移住して暮らす家のことを一般的に何と呼ぶのだろうか。同じ意味で帰省という言葉を使うこともつっかえるものがある。でも人に説明するのに、私は住んだことがないのですが両親が…といちいち説明するのも面倒だからこの言葉を充てている。ここは両親に会いに来る場所のこと、そして彼らが人生の終盤になってようやく穏やかに暮らした場所だ。

家の中は思っていたよりちゃんとしていて安心した。ゴミ屋敷みたいになっていたらどうしようと心のどこかで緊張していたのだ。それでも母の具合が悪くなってからはそれ以前のように掃除も出来ていなかったようで、荷物をおいてすぐ掃除に取り掛かる。掃除機が壊れとうねんという父に雑巾をもらい、床と畳を拭き上げると裏面は真っ黒になった。父は自分の部屋だけ掃除をしていたようだ。

掃除をひと段落させてから届いている請求書や通知書を開封して整理する。何の料金なの?と聞いても父は分かっていないのが多くて、ネットで調べて不要なものの解約のリストをまとめたりで時間があっという間に経っていく。父は私がコンビニで買ってきた総菜でビールを飲みながら、ほんまは焼酎がよかったと愚痴っている。
これまで身の回りの事をなんでも母がやっていたから、すっかりそれに慣れきっていて、私に一人暮らしの同情を求める事にイラっとしてしまう。今はいなせる余裕がないので、聞こえないふりをして黙々と作業を続ける。でも家に人がいる安心感は父には久しぶりだったのだろう。夜になって自分の寝室に入ると昔よく聞いた鼾が高らかにきこえてきて、私は呆れながらその音を懐かしく思った。作業は明け方まで続いた。

深夜になって辺りも寝静まり、こんな時間まで煌々と電気を点けているのも家ぐらいだろう。庭に出て息抜きでもしたいところだが、うかつに外に出れないのは向かいの家に外飼いの犬がいて、物音一つでも立てようものなら激しく吠えたてられると分かっているからだ。昼間に顔をあわせてもとにかく吠えられるので番犬としての役目は頼もしい限りである。

親のこれからをどうすればいいのか、目先の書類を整理しながら浮かぶ考えは堂々巡りばかりだ。
気を紛らそうと洗面所に顔を洗いに行く。疲れていたけれど風呂に入る気にもなれず髪を洗うことにした。あるのはメリットのシャンプーだけ。コンディショナーはなくって、そうかもう使わなくなってるんだと地味にはっとする。それにしても洗面所で髪を洗うなんて高校生の頃みたいだ。床を濡らして母に怒られたことを思い出した。持ってきていた顔用のオイルを数滴たらしてごまかす。キャンプと思えばなんでもない。
ドライヤーがないので濡れた髪のままで洗面台横の母の化粧入れに目をやると、折りたたんだ紙が挟まっていた。この折り方。長方形にして先を織り込む形は私が昔よく折っていたやりかただ。出してみるとやっぱりそうで、これは私が母に宛てて書いた古い手紙なのだった。

その後も、家のあらゆるところから私が書いた手紙が出てきた。台所の電子レンジの横、リビングのペン立ての脇、電話の横。印鑑の入った箱の中、母の寝室の引き出しの中に入っていた。これは宝さがしのようにわざわざ探し出したものではない。むしろ書類の整理に必要なものを、あちこち探しまわりながら出てきたものである。置いてあった場所をなぞると、一見脈絡のないように見えて、全て母の生活導線の中にあると気づいた。

こそばゆいけど幾つか開けて中を見てみる。封筒に入っていたのはずっとずっと前の母の日に出したカード。結婚前に今の夫と行った旅先から出した手紙や、母の誕生日に書いたもの、それに記念日でもなんでもない時のものもあった。懐かしいのはまだ神戸で一緒に住んでいた頃に書いたもので、口で言えないから云云かんぬんという出だしで、当時抱えていた問題についての自分なりの思いを母に綴っているものもあった。
若い頃の自分が書いた手紙を、こんな夜中でも読み返すのは気恥ずかしいものだ。でもその頃の自分の文字の癖や、一生懸命大人ぶって母を励ましている文言が懐かしく、思いがけず時がタイムスリップしてその頃の私と対面しているような気になった。まさかこんな年月を経て自分が読み返すことになるなんて思いもよらなかった。

懐かしみながら、母がこの手紙らをここそこに置いた心情を想像して切なくなった。ご飯をつくる途中、洗面所で顔を拭いたあとで、リビングでテレビを観ていたり、私と電話を切った後なんかに、この手紙を取り出して読み返したりしていたのだろうか。違うやろうか?
「お母さん」と思わず声が漏れる。

電話をかけきて今の私と話すよりも、手紙の中に入っている私と時間をかけて対話してくれていたのが母のやり方なのだ。コロナの前でもここに遊びに来ている間は、息子の世話やいろんな雑事で母の思うように落ち着いて話すことはできなかったのだろう。そんな「今」よりも、寂しさを感じる時に、強くあろうと思う時に、取っておいた娘の書いた手紙をひとりで読み返す。10代、20代、30,40代のその時々の私の書いた手紙と自分の心で対話をする。そういう母だ。

今回母が残してくれていた手紙のいくつかを私は持って帰る事にした。役目を終えたこの手紙、いったん引き取りますとここから少し離れた病院にいる母に念を飛ばす。手紙そのものというより、手紙と母の関係を持って帰って手元に置いておこうと思う。

難しい事はやっぱり朝になってから考えよう。朝がきたら今日は昨日になって、きっとなんとかなるだろうから。



※今回の記事でnote掲載100週目を迎えました。いつも読んで下さる方々に感謝申し上げます。これからも細々と書いていきます。

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