昨日の夕方、ちょうど空があいたところで自転車を停めました。南の空に浮かんだ雲に思わず心奪われたからです。 自転車の後ろに乗った息子としばらく眺めてから、二人で1枚ずつ写真を撮りました。 (上:息子 下:母撮影) うろこ雲みたいだねぇ。 これから梅雨があけて夏本番というのに、ここだけ秋の空みたいだと思ったら、うろこ雲は夏にも見られるみたいでした。秋の季語らしいですけれど。 巻積雲、鱗雲。雨が降る前触れ。 そうかこれから雨が降るのか
早朝から昼過ぎまで屋外で陽に当たり過ぎたせいか、どっと疲れが出てソファに沈んでいた午後。ドラマ版「舟を編む」を先週分まで見終わって、最初半目だったのが、静かな感動で胸が震えました。 言葉に話しかけ、大事にしたいです。
久しぶりのデスクワークが堪えたのか、首に寝違えた時のような痛みが出て困っている。それなのに自転車で段差に勢いよく乗り上げたから、首から今後は背中の方までピキッと電気が走ったようになって、体の半面を湿布三昧にして過ごした週末だった。今日はよく晴れて気温も暖かく、今年初めて上着を持たずに外に出た。 本当は髪を切りたかったのだが、いつも担当してくれる女性が平日がメインの人なので、土日休みになると予定が合わなくなってしまった。近所には沢山ヘアサロンがあるから適当に探せばいいのだろう
桜の夜 美しい季節の印は 懐かしい思い出と結びついて 恋しい存在を思います 見てるかな そばにいるかな 見上げる君がいないだけ 満開の春の夜に
「何でかな〜泣いてしまうわ」 拭っても拭っても涙が溢れてくるから、顔を天井に向けるのだがあまり効果はない。「この曲で泣くか〜?」自分で言って自分で笑う。涙は流れ続ける。 さっき腕時計をちらっと見た時にはもう22時を回っていた。明日は午前中に父と母が暮らした家の退去立会いがあるのだが、今私は弟と高松の繁華街にあるカラオケボックスの一室にいるのだった。 弟が熱唱しているのは米米クラブの浪漫飛行である。中学の頃に流行っていたと思うから弟はその頃小学校の低学年だったはずだ。まぁ当時ど
父が死んでから初めて夢に父が現れた。私は夢の中で家の中にいるのだが、いま懸命に思い出してみてもそこは私に覚えのない、どこかの一軒家の洋間のようであった。横長の部屋の手前には濃い赤色のビロードのソファとローテーブルがあり、一見レトロな昭和の喫茶店のようでもある。ソファの足元には、一つ二ついや部屋を見渡すともっと沢山の蓋を開けたままの段ボールが置いてあった。その様は、引っ越す前か引っ越してきたばかりかといった具合である。私は部屋の横の壁一面に造りつけられた棚の前に立って、ある箱に
二月頭某日 父が救急車で運ばれたと連絡を受けて高松へ。 レンタサイクルをして、父が入院している病院から家を目指す途中で、讃州堂書房の前を偶然通りかかりました。だめだめ、時間ない(心の声)と一度は通り過ぎたのですが、いつか行きたいと思ってGoogle mapにピン留めしていた古書店です。10分だけ!と決めて引き返しました。 店内にいるお客は私ひとりだけ。本を選ぶ後ろめたさが、書棚を行き来する足を急がせます。焦るのはよくないと諦めかけた時に、一冊の背表紙に目が留まりました。 水
父に雲の一文字がついたから、意識的に空を見上げるようになった。昨日も今日も明日も一様に時間は流れる。どの時に心を置くかで気持ちの色も変わる。 やる事山積みの中で仕事も始まり、春休みも来るから一体どうなっちゃうのかしら🫧 父には頼れなかったけど、雲には聞ける。良い名をもらったねぇ☁️
瞼の上にかけられた柔らかな布の感触に気を取られていたら、うっかり涙が込み上げてきたので慌てた。ないない、ここでじゃない。 今私はヘアサロンのシャンプー台で仰向けの体勢になっている。美容師の彼女の指が頭頂部から側頭へゆっくりと動く。その適度な指圧感に恍惚としていると、ふと、前回同じようにここに座って瞼を閉じながら、泣くまいとしていたのを思い出したのだった。 それは一月の初めで、にこを火葬した翌々日だった。 そして今日は、父の葬儀を終えた翌々日である。 昨日、高松から戻る新幹線
早朝Kが起き出した気配がして、薄目で時計を見るとまだ7時すぎであった。隣で寝息をたてるRが掛布団を蹴り上げるので、起きると大体私には毛布1枚しか掛かっていない。今朝もそう。窓からの冷気が堪えるし今日はサッカーも昼からだから、もう一回布団を掛けて潜り直したい気分なのだが、だめだめと思い直した。あと1時間したら車を引き取りに業者が来る。Kは先に洗車をしに行ったのだろう。本当は昨日か、先週のうちにでもやりたかったのだが、Rの予定を優先に動いていたら後回しでできなかった。 意を決し
のぞみ63号とマリンライナー29号を乗り継いで13時すぎに高松に着いた。昨夜寝たのは二時近くだったので新幹線で眠るつもりだったのだが、ぱちっと目が冴えていてnoteに載せる文章を書いていた。右側の席だったので途中で富士山を眺めた。先に現れる手前の山に惑わされるたが、本物はずっと大きくもっと奥の方で、雪を纏って悠々と存在していた。父が引き返した8合目というのはどこだったのだろう。 前日に楽天の最安値で押さえたホテルは、行ってみたらとても便利な場所にあった。サイトに宿泊者は自転
曇天の日曜日。今日は正午から夕方まで近所の小学校で練習試合の観戦予定である。明日は雪予報が出ているせいか、座ってじっとしていると体が芯から冷えてくる。暖を取るつもりで小刻みに足を動かしていると、ダウンの右ポケットがぶるぶる震え出した。中で携帯が鳴っていた。取り出して画面をみたら母の通う施設の名前であった。一瞬怯んだが思い直して、並んで座る親たちの前を会釈しながら離れ、電話に出た。 「お世話になります。聞いてますよね。お母さんの安全確保の為に今日はこちらの施設で泊まりの準備を
KaradaN ocwhosiado.u Desuka 水曜日 23:25分 娘は最初見ぬふりをした 600キロ向こうの夜で 無骨な指がふるえている 〈カラダノチョウシハドウデスカ〉 読めないふりは できなかった
にこがふいっと柵を超えて届かない次元に行ってしまったのと、自分が誕生日を迎えたのはどこか似ているような気がする。焚いたお香の煙の流れた先をぼんやり眺めていて、普段は見えない空気の流れが視覚的に現れ、目に見えないという事の意味を探ろうとしてやめた。 誕生日だからという訳では無いのだが、二週間ほどポストを開けなかったので覗いてみた。玄関を出入りする度に目に留めていたが開ける気がしなかったのだ。夫も子供も郵便物の確認は私がすると思いこんで普段はやらない。思った通り、中は不動産やデ
にこが居なくなって10日経った。毎朝おりん代わりのマトリョーシカを鳴らして、ごはんと水を入れた小さな器を取り替える。お骨の隣に飾ったにこの写真と、私がマトリョーシカに描いたにこのとぼけた顔が、現実と虚構を行き来させる。今日はどっちに転ぶのよと、にこに問われているようだ。 子供と夫が居なくなる日中は余計家の中が静まり返る。いや、これまでも静かだったが、ここには自分以外の息が吐かれていたし、自分以外の体温も存在していた。 今日は吉祥寺へ出かける。天気が良いので下北沢まで自転車を
犬がお空に昇ってから一週間経ちました。 名前を呼んでご飯をあげて、散歩に行って、足を洗って。 家の階段が怖くて上り下りできない犬の為にいちいち抱えて階を移動して。当たり前の毎日の事がなくなったこの一週間は、何を見ても身が痛んで悲しく、苦しいものでした。 ごはんの袋を開ける時の音は、その行為が無ければもう聞くことは無いのです。うっかり床に落とした野菜を慌てて拾わなくてもいいのです。家を少し留守にする時、明かりやテレビを付けたままにしておかなくてもいいのです。そんな小さな日常の変