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うねりの途中で

曇天の日曜日。今日は正午から夕方まで近所の小学校で練習試合の観戦予定である。明日は雪予報が出ているせいか、座ってじっとしていると体が芯から冷えてくる。暖を取るつもりで小刻みに足を動かしていると、ダウンの右ポケットがぶるぶる震え出した。中で携帯が鳴っていた。取り出して画面をみたら母の通う施設の名前であった。一瞬怯んだが思い直して、並んで座る親たちの前を会釈しながら離れ、電話に出た。

「お世話になります。聞いてますよね。お母さんの安全確保の為に今日はこちらの施設で泊まりの準備をしますという連絡です。」
私は昨日弟と話した内容のことかも勘違いして「はぁ」と間抜けな返事をしたのだが、でも、安全確保というのは一体どういうことだろう。昨日の話では二人分の配食サービスを頼むことにしたとか、そんな話だったはずだ。

「聞いてないですか?お父さんが倒れはったことですけど。」
年末に施設を訪ねた時に対応してくれたメガネの職員さんの顔が浮かんだ。丁寧で優しい方なのだが、意思疎通の所で少し話がずれるなと感じた人だった。
施設側の手間と混乱を避ける為に連絡窓口は弟になったのだが、私にくれるということは…。

「ごめんなさい。私がまだ何も分かってないので弟に聞いて折り返します。」
「はぁい、わかりました。あ、でもね。ご近所のKさんが心配して、病院わかったら自分にも連絡欲しいって番号聞いてますので、今お伝えしておいても大丈夫ですか?」

緊急性のない明るい声なのだが、内容は察することができた。でも状況が掴めない不安から一旦電話は切らせてもらった。知らない事が申し訳なかった。でもとにかく母は施設に任せて大丈夫で、父に何かが起こったのは確かだ。それとあの人、近所の誰って言ったっけ。もう忘れてしまった。
湿気を含んだ空気のせいか、子供達の声が辺りによく響いていた。一層甲高いあれはRの声だ。

その場で弟に電話すると、出ていきなり「T(施設)から電話あったんやろ?」と言った。父が倒れていたのを近所の人が見つけてくれて、今ちょうど緊急搬送されている途中らしい。弟は救急隊の人から連絡をもらったと言った。
「病院が決まったら教えてくれる。とりあえず俺はこれから向かうから。」
弟の家から高松までは車で2時間かかる。

母が施設の迎えで家を出たのはいつも通り10時とすれば、正午までの2時間の間に父は倒れたと予想がつく。たまたま父を訪ねて来てくれた人が(Kさんの苗字を思い出せない)見つけて、救急車を呼んでくれたのだろう。
狭いあの家のどこでどんな姿で父は倒れたのか。物がひしめき合っているから、身体をぶつけたり椅子が倒れたりしただろうか。その場面を頭や音で想像しながらコート脇のベンチに戻った。

夫が動画を撮っていないからRの調子はあまり良くないようだ。姿を探すと寒そうに肩をすくめてベンチを温めていた。苦笑いしながら、夫に父の話を伝えた。
「行ったほうがいいんじゃないの?」
さっきまで父親の目をしていたのが、いきなり夫のKの目になった。その柔らかな反応の変化を、家族であることの証拠のように感じるのは、今だからか、それとも私に父と同じ家族への執着があるからなのか。
「Mから連絡が来るのを待つことにしたよ。」

通話を切る前、動揺したまま「私はどうすればいいやろ。」と聞くと、「とりあえず、お姉は何もせんでいい。」と弟は言った。それに私はものすごくほっとしたのだ。だから冷静に一呼吸置いてからそれを夫に伝えられた。
衝動的に動いても今の自分に出来ることはなく、そして明日は雪が降る。明後日の東京の交通網は大混乱になるだろう。火も水木金も、Rの送り迎えはどうなる?金曜には漢字検定もあるのに全然見れてやってないし。それから…それから…。

「行かなければ」と「行けない」の間で心が波打ち錯乱していたのが、弟の一言で力が抜けた。ただその安堵の中に(怖い、行きたくない)が隠れているのを見透かす自分もいるのだった。

19時を回る頃、私はまた別の場所でRがボールを追うのを見ていた。薄暗がりに人工芝の緑が怪しく浮かんでいた。
右ポケットの携帯が一度震えて、開くと病院のベッドに横たわる父の写真だった。心電図を測る吸盤がいくつか見える。口元のマスクがだらしなくずれて、目は閉じているが眉間に皺がよっている。苦しそうだった。

「いいねっR!」コーチの声で顔をあげた。
なかなか褒めてもらえないのに、今いいプレーが出たみたいだ、見逃した。
しばらく緑の子たちを目で追ったあと、数日前の夜中に父から来たショートメッセージを開いた。
「KaradaN ocwhosiado.u Desuka」
カラダ、ノ…

写真を再び開いた。拡大して大きく父の顔を映し出す。
会いに行くよ、お父さん。

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青葉 犀子 -Saiko Aoba-
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