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思い出に寄り添う野の花 渡辺一枝さん

少しの間大学生だった頃、地元のショッピングセンターにある和菓子屋さんでアルバイトをしていた。店は季節の果物を和菓子に仕立てるのが評判だったので、モール内の菓子店の中では繁盛していた。
アルバイトは私一人。その他は社員さん1名とパートを含む4名体制である。皆さん私の母親より少し若いぐらいの年代で、コロコロよく笑う朗らかで優しい方々だった。私以外は皆さん身体が小さかったので、倉庫から荷物を取って来るとか、筆耕さんまで走るとか、体力勝負の仕事は自ずと私が買って出た。お陰かどうかわからないが皆さん私を娘のように可愛がって下さった。

遅番のシフトの時は、時々賞味期限切れのお菓子を持たせてくれた。中でも私のお気に入りは皆が「三笠」と呼ぶどら焼きで、餡の中に栗が入っているものだった。栗の触感と食べ応えのあるボリュームが絶妙で、私は商品が余るのと遠慮なく頂戴して家に持ち帰って食べた。おかげでムチムチに太ったので、今でも10代最後の写真を見たくないのはこれが理由なのだった。

そのパートのおばさんの中にひとり、読書家のKさんがいた。
Kさんはうちの和菓子が良く似合う、上品で可憐な雰囲気を持つ方だった。大学生の男の子のお母さんで、息子さんは家を出て東京で独り暮らしをしているらしかった。シフトで一緒になり、お客さんの足が途絶えた時なんかに私たちは横並びのままよく話をした。

Kさんは「稼いだお金は全部息子の仕送りに消えていくのよ」とパートの理由を私に説明したが、ここで働く姿は全然辛そうに見えなかった。Kさんは息子さんが家を出られてから、ご夫婦で近くの野山を歩くのを趣味とし、「毎月ほんの少しだけ自分達の趣味の為にとっとくの」とにこやかに教えてくれた。

当時「お金」というワードに振り回され苦しみを感じていた私にとって、働いたお金をほとんど息子さんへ送りながら、好きな本を読み、旦那さんと山を歩くのを楽しむKさんの柔らかさがとても眩しく映った。もし自分がこの人の娘だったら、10代の娘らしく今を居られるんじゃないだろうか、なんて事を思ったりした。

そんなKさんが私に薦めてくれた作家が、渡辺一枝さんだった。ご存じの方も多いと思うが、渡辺さんは椎名誠さんの奥様である。(教えてもらった当時、私はそのことを知らなかった。)椎名さんの友人でもある野田知佑さんとの関わりもある。

「この本素敵なのよ、読んでみて」と貸してくださったのは、「自転車いっぱい花かごにして」という一冊だった。これは野の花が好きな一枝さん(私が勝手にいちえさんと呼んでいる)が、それぞれの花にまつわる話を綴り、椎名さんが撮った写真が添えらえていた。

ニリンソウ、ハナニラ、スミレ、シロツメクサにキンポウゲ。
花の名前をさっと言える人に憧れるのは、この本がきっかけなのかもしれない。一枝さんが語るのは家族や子供、時に自分を意固地に感じるという日常のあれこれ。それらの話に足元に咲いている野の花が添えられる。

文章には一枝さんが二人のお子さんの子育てをしながら保育園で保母をしていた経験を綴られているのもある。ハンディキャップを持ったお子さんが通う保育園にもお勤めだったそうだ。その中に、以前共に笑いながら、苦心しながら過ごしたお子さんに数年後ばったり出くわし、今は一人で自転車をしっかり漕いで去っていく姿を見送るという文章がある。その道の脇に、ヨモギやホトケノザが咲いて風に揺れている。
花が可愛く綺麗というだけでない、強く優しい眼差しのようなものが感じられて心に残る話だった。

当時私はこの本を娘の立場で読み、一枝さんに「母」を感じながら対峙したが、今少し読み返してみると自分の目線が「母」になっている事に気が付いた。包んでくれるように思えた言葉が、今は並んで声をかけてくれているように感じる。

Kさんに本を返した後、読み返したくなって自分でも同じ本を求めた。渡辺さんの他の書籍も何冊か読み、引っ越すたびに必ず新しい本棚に収まってる。

Kさんはまだお元気でいらっしゃるだろうか。私に一枝さんの本を貸してくださったお気持ちが、今もずっと嬉しいのです。

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そんな大事にしていた本を、私は一度雨の中に落としてしまいぼろぼろに。。。でもちゃんと読めます、これからも大事にします。





うちの和菓子が良く似合う可憐なで


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