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何回でも落下して




希望は自分で見つけにいくものなのかもしれない。まるで灯台を目指して歩くかのように。


 歌壇賞の結果が出ていたようで、見る。そこに私の名前はもちろんない。
本当の本当に努力して、作品を極めた人が賞を獲る。例外がない限り必ず誰かが取る。
 私はもう何回落ちたかわからないくらいに落ちている。そろそろちゃんと、悔しい。
 貰うべき人がもらえるプライズ。私はまだその人にはなれない。
 もう一度、次こそ、次もやる、今度はいつ、
一年を通していろんなところに出す。出せない時もある。出せなかったことは悔やまないようにしている。私にとって私の精神的・身体的安定と、家族の生活の安定は必須だから、それらを崩してまで創作を優先し、家族や他の人に迷惑をかけてしまうようならば諦めるようにしている。そこに言い訳はしない。その時期はそういう流れの中に居ただけだと、思う。
 
 何回目の落選、いや落選ってか、そもそも、箸にも棒にもかからないものだったのかもしれないし。まだまだ修行が足りないのだろうな、もっともっといい作品が作れるようになりたいなと、毎回思う。毎回思って、毎回落ちる。何回目だ。n回目。だけど諦める理由にはなっていない。諦めたいからやってるんではない。

 競う場に出すのだからルーザーもいればファイターもいる。そして、栄光を手にする人もいる。まだ私はルーザーにはならない、心の芯が折れない限りは歌人・詩人を名乗っていきたい。

 ずっとファイターでいたい。けど、いつか受賞できたら、ファイターは新しい場所で新たなファイターになる。どこに行ったってどうなったってずっと目的を持ってやっていきたい。間違いなく今の私は悔しがっている。

 何回落ちるんだよ、もう落ちることに慣れてしまっているよ。そんでもって受賞した人たちの作品はどれもこれも美しいんだよ。わかってる。みんな頑張ってる。
真剣にやっている人たちがいつだっていつの時代だってかっこいいんだ。
がむしゃらに、泥臭く、真っ向勝負なのが。
負けたって実感を、血の中に走らせてしまう。
悔しいし、かっこ悪いし、情けないし。ばーか、って、心の中で罵ってしまう。
その時その時の私、まだまだ幼かったんだよな、まだ何か、足りないことが
色々あるんだよ。試してないことがあるし、知らないこともある、
見えていないこともある、勉強不足なんだよね、わかってる。

お酒が進んだ。涙は出なかった。やりたいからずっとやるぞ、とだけ思った。

 私たちは夫婦揃ってそれぞれの出したい公募に出していて、互いに頑張っていこうよと言い合う。落ちれば「次行こう」とすぐ言葉に出す。慰め合える関係はいい。励ましてもらえるのも。褒め合うだけじゃなくて、「ここはこうじゃない?」とか「こうしたら?」とかも言い合える。
 それらももっと、これからはより真剣に。どうすればいいのか、どうすれば良い作品のために言葉を紡げるのか。話し合いたい。そうやって意見を交換できる人がいるのは貴重だし、本当にありがたいからこそ、その期待に応えたかったり、報われたいし報いたかったりもする。

出すのは自分のためだし、短歌や詩を書いていくのも自分のためだけど、そこには少し、何か背負っているとこもある。誰かのためとまではいかないけれど、あくまで自分のための範囲の中で、結果を出したいし出してやりたいと思っている。


できることはまだまだたくさんある。
できてないことの方がまだまだたっくさんある。

それでも、作品を作るときは。その時その時のベストを尽くしてきている。
その時考えられるだけのことを考えたし、紡げるだけのものを紡いでいたつもり。
でもダメだったし、その方向ではなかったし、それだけでは足りなかった。
足りなかったんだよね、わかってる。

だからまだまだ、やっていける。
もっと広く、世界を見よう。

そうしないと、
落下するスピードはどんどん早くなる。
時間が経てば経つほど、重力はかかるし、身動きが取れなくなっていく。


いつパラシュートを開くの?

いつか地面に叩きつけられないようにしないといけないよ。

作品を死なせないようにしたい。


生き永らえていたい。

深く、長く、息をしていたい。



 

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