50代からの挑戦はつづく:富士山登頂【後編】
前回の続き
山小屋での一泊。
疲れと空気が薄い影響で、夕食後すぐに寝てしまいました。
9時半に目が覚めましたが、消灯は8時半で、すでに真っ暗でした。
何にも見えません。
それからはほとんど眠れませんでした。
夜中にトイレに行ったら、
(トイレは外。登山用の「ヘッドライト」を点けていきます)
5~6人のお客さんが、外で星を見ていました。
みんな眠れないんですね。
雲がなく、とってもきれいな夜空でした。
星がよく見えました。
朝方うとうとしたところで、起床時間でした。
4時半に起き、ご来光は4時50分頃でした。
雲の間から太陽が上がってきました。
お天気がよくて、ありがたい!この幸運に感謝です。
そのあとすぐに朝食を食べ、5時半には出発です。
いよいよ山頂を目指します。
ガイドさんにも、それぞれの人生が
今回は、こちらのツアー会社のツアーに参加しました。
富士山以外にも、各所の「登山ツアー」があるようです。
ガイドは、とっても明るくファンキーな「オジー(尾島)」さん。
気遣い、励まし、笑わせ、、遅い人のサポートに回り。。
休憩時間も休んでいる様子はありません。
普段は介護士をしているとのことでした。
私たちのツアーの前にも後にも、
富士山のツアーが続いているとのことでした。
ものすごい体力ですよね。
あと、ガイド「見習い」の男性が2名。
妙高にある「山岳ガイド」の専門学校から、
夏休み中の「インターン」に来ているのだそうです。
専門学校は3年間とのことでした。
そんな専門学校があるんですね!
「ゆうちゃん」は20歳、「こうちゃん」は46歳。
20歳と46歳の同級生だそうです。
こうちゃんは、ゆうちゃんのお父さんと同い年とのこと。
ゆうちゃんは20歳に見えない落ち着きがあり、
こうちゃんは若々しく、
歳の差は全く分かりませんでしたが(笑)。
こうちゃんの出身は岩手で、とても良いトレイルコースがあるそうです。
Uターンして地元でガイドをしたいと、
45歳で「専門学校」に入る決断をしたとのこと。
「老後資金を全部吐き出した。」と。
「老後」に貯めたお金を「食いつぶす」のではなく、
「未来」に「投資」したんですね。
さて、山頂までの道のりは
昨日よりも、さらに勾配はきつくなっていきます。
出発して30分も経たないうちに、
気分が悪い、脚がもたない、という人が出始めます。
通常通り進む班
遅れて進む班
山小屋へと引き返す班
と、三つに別れました。
上に上がるにつれ、大きな岩が多くなり、さらに足場は悪くなります。
かなり登ってきました。
でも、頂上まではまだまだ(-_-;)
遠くまで見渡せます。
ゴール!!@9:00
あー疲れた。。
富士山の頂上は
売店があります。
神社があります。
富士山の火口があります。
柵などないので、覗き込むのは自己責任でお願いしますね(笑)
それからが試練だった、、
山頂で1時間ほどの休憩のあと、下山開始です。
「7合5勺」にある泊まった山小屋へ戻り、
預けていた荷物をピックアップ。
あとは下るだけ。
オジーさんが、
「富士山は下りがまた大変なんです。」と。
この言葉の重みを知ることになるのです。
山小屋を出発して間もなく「砂走り下山道」に入りました。
「大きめの砂利」の道で、
踏み込むたびに足が10センチほども沈みます。
オジーさんが「下り方」を教えてくれます。
リズムよく、駆け下りてください、と。
5合目の「大石茶屋」までは一本道で、
各自自分のペースで下りることになりました。
富士山の斜度そのままの勾配です。
これ、アスファルトだったら事故です。
砂利だから転げ落ちないんですね。
「見上げる」の図、、
はるか遠くに建物らしきものが見えます。
ゴールの「大石茶屋」です。
とおっっ(-_-;)
最初はオジーさんのいう通り「リズムよく」やってみました。
足を砂利にとられ、どんどん足が重くなります。
長い、、
1時間半ほどかかり、やっと到着しましたー!
登りよりも、この「砂走り」のほうがきつかった、、
そんなつもりはないのに、フルマラソンの大会に出てしまった。。
そんな感じでした。
翌日以降の筋肉痛も、「大会の後」並みでした(-_-;)
大変でしたーー!
でも、サイコーでした!
お天気に恵まれ、すばらしい経験が出来ました。
幸運に感謝です(涙)!
また行きたいとは、思わないけどね(笑)
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