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秋、宮沢賢治を音読する

秋が深まってくると無償に宮沢賢治が読みたくなってくるのはわたしだけでしょうか?

なぜか決まって、毎年そんな時期が訪れます。

9月のお彼岸過ぎ、急に涼しくなったころに、なんとなく『銀河鉄道の夜』を読み始めたのですが、なぜか気分が乗らず「うん、今じゃないな」といったんストップ。
11月に入ったらまた読もうと思っています。

わたしと宮沢賢治

好きな作家として名前を挙げるほど宮沢賢治の作品に親しんでいるわけではないので、そんなわたしが宮沢賢治について書いていいものか、少し迷いました。

でもわたしにとって「定期的に読み返したくなる作品」ってそれほど多くはありません。短編で読みやすいというのも理由のひとつですが、「また読みたくなる」魅力を賢治の作品に対して感じているのも確か。

そう考えてみると、宮沢賢治はわたしの好きな作家なのかも…?

書いているうちに考えが整理されたり、無自覚だったものをふいに自覚したりすることってよくありますよね。このnoteを書いたおかげで、わたしの「好きな作家」が一人増えました。

出会い

最初に宮沢賢治の作品と出会ったのがいつで、どの作品だったかは正直なところ覚えいません。『注文の多い料理店』だったような気がするのですが、本で読んだのか、それとも映像作品を観たのだったかがあやふや。


宮沢賢治作品はよく映像化されているし、オマージュ作品も多い印象です。

最近小さいお子さんのいる人に聞いたのですが、「ちいかわ」のアニメの中にも『注文の多い料理店』をオマージュした回があったそう。

ちいかわ、あまり詳しくないんですが、パイ生地で巻かれたちいかわちゃんたちかわいですね。



また小学生のころ、『よだかの星』の暗唱を聴いたこともありました。確か同学年の子のお母さんがそういう活動をされていて、学校の講堂でみんなで聴いたのですが、おはなしの内容自体よりも「これを全部暗記してるってすごいなぁ」という印象が強く残っています。

子どものころは「悲しいおはなしだな」くらいの印象だったのですが、大人になってから読んだ時には嗚咽するほど泣きました…



本としては、子どものころ家にあった、岩波世界児童文学全集のなかに『風の又三郎』があったのは覚えています。

岩波世界児童文学全集は全30冊セットで、かつては我が家の居間の本棚の一画にどーんと幅を利かせて鎮座していました。もうすでに実家にもなく、写真を載せることができなくて残念ですが、本の装丁がとても好きでした。
(画像を載せたくて岩波書店のサイトを見に行ったのですが、随分昔に廃版になっていたせいか画像はありませんでした…残念。メルカリなどの画像は出てきたんですけどね)

また『風の又三郎』は小学校の文化祭で、学年全員で冒頭部分を音読(暗唱)したこともあります。

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

『風の又三郎』宮沢賢治

この
「どっどど どどうど どどうど どどう」
の部分を4回繰り返すというのが学校オリジナル(?)の方式で、最初のターンは1組だけ、2回目はそれに2組が加わり、3回目は3組、4回目は4組と、リフレインのたびに1クラスずつ声が増えていって、どんどん声に厚みと迫力が増すという演出でした。
40人学級の4クラスだったので、最初は40人、次に80人、120人と増えて4回目の「どっどど どどうど…」は160人での大合唱(歌ではないので、何と表現するのがふさわしいのやら…)。風の強さがどんどん増してくるような力強さを、やりながら感じていたことを覚えています。

そういったこともあってか、宮沢賢治は声に出して読みたい作家でもあるのです。


声に出して読む

小学生のころ、国語の宿題で音読というものがありました。今でもあるんでしょうか?

国語の教科書に載っているおはなしを声に出して読み、保護者に聞いてもらってサインをもらい、先生に提出するというものです。

わたしも弟たちも、晩ごはんの支度をする母の背中に向かって毎日音読の宿題をしていました。同時に読み始めると「一人ずつ読んで!」と言われたものです(笑)

わたしはこの音読の宿題が好きでした。
高学年になると放送委員になったくらいなので、根本的に「声に出して読む」ことが好きなのかもしれません。


大人の音読

大人になると、物語を声に出して読むということがなくなります。
お子さんのいる方は読み聞かせの機会は多いと思うのですが、独り身だとまずありません。

数年前の秋、いつものように宮沢賢治が読みたくなってそのときは『やまなし』を読んでいたのですが、なぜか無性に声に出して読んでみたくなり、音読してみました。この作品が小学校の国語の教科書(たぶん6年生?)に載っていて、当時音読した経験があったからそんな気持ちになったのだと思います。

小学生以来の音読。

 二疋の蟹の子供らが青白い水の底で話していました。
「クラムボンはわらったよ。」
「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」
「クラムボンは跳ねてわらったよ。」
「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」
 上の方や横の方は、青くくらく鋼のように見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れていきます。

『やまなし』宮沢賢治

発声してわかる「かぷかぷわらったよ」のなんとも言えない語感。
地の文の、音の響きの美しさ。

「宮沢賢治の作品って、音読するためにあるのでは?」

とさえ思えました。

それ以来、毎回ではありませんがいろいろな作品を音読してみるようになりました。
『グスコーブドリの伝記』
『よだかの星』
このあたりは、ものすごく感情が込み上げてくるので音読は途中までしかできません。

ほかにあまり「声に出して読みたい」と思える作家・作品は思い当たりません。わたしが持っている本のなかでは、あとは谷川俊太郎くらいでしょうか。


誰かに聞かせるでもなく、自分のために、日本語の美しさを感じるために、声に出して読む。そんな楽しみ方も、あっていいのかなと思います。

ただ、一人で音読しているところをもし人に見られたらきっと本気で心配されてしまうと思うので、誰にも見られない自分だけの空間で音読することをおすすめします(笑)


最後に、秋の朝によく合う文章を。
声に出して読んでみると、なんとも清々しい気持ちになります。

 いちょうの実はみんないちどに目をさましました。そしてドキッとしたのです。きょうこそはたしかに旅立ちの日でした。みんなも前からそう思っていましたし、昨日の夕方やってきた二わのカラスもそういいました。
「ぼくなんか落ちる途中で目がまわらないだろうか。」
一つの実がいいました。
「よく目をつぶっていけばいいさ。」も一つが答えました。

『いちょうの実』宮沢賢治

引用はすべて、青空文庫より。

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