自分の中にある彩り。まるで落書きするようにnoteを使ってみる
noteは不思議だ。
というより、あらゆる創作活動に言えることだと思うのだけれど
・力を入れて仕上げた
・伝えたいと思いが強い
・「これは伸びる!」と思った
そんな記事ほど全然伸びない。
では、記事が伸びる法則性みたいなものはあるのだろうか。
たとえば私の中では結構伸びたこの記事。
ただ生活していて何となく感じていたことを文字に起こしただけで、なんの力も入っていない。
noteを始めた初期に下書き保存していたものを「ヒマだし少し手を入れて投稿してみるか~」くらいの軽い気持ちで投稿したら、すぐにたくさんの反応をいただいたので驚いた。
誰かに伝えたいという強い気持ちもなければ、伸ばそうという熱い気持ちもない。
ただ、自分の中にある当たり前を言葉にしただけ。いわばただの落書きのようなものだった。
「note」っていうくらいなんだから、「落書きノート」くらいの気持ちでもいいのかもしれないな。誰にも見られない落書きノート。
でも、だからと言ってぐちゃぐちゃに書いて良いわけじゃない。自分が後でひらいて見た時に気持ちの良い語感やリズム、行間、改行、写真などにはこだわってみる。
そんな少しの美意識と自分への徹底的な素直さ、正直ささえ持っていればきっと刺さる人には刺さるのだ。
皆が見たいのは「伸ばそう」と力を入れて書いた「表舞台の人」ではなく、日常の中で普通の人間が感じる小指程度のことなのかもしれない。
疲れている時ほど正論や解決法よりも、そういった文章がお薬のようにじんわり効いてきたりする。
情報溢れる現代社会で、きっともう大人たちはノウハウや解決法を知っている。問題はそれを実行する気力を削ぐほどの疲れやストレス。
必要なのは「答え」ではなく、こわばった身体や心をときほぐす右脳的な表現なのかもしれない。ほぐされた状態で動き出せば、自分の中に眠っていた記憶や知識が自然と蘇る。それを使って正しい方向にオールを漕いでいけるはずなんだ。