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面倒くさがっていた事は、人生で本当にやりたい事だった。
極度の面倒くさがりの私から、面倒くさがりのあなたへお届けする記事です。
もし良ければ読んでいってください( ˘ ᵕ ˘ )
◇面倒くさがりの家系
祖母の口癖は「あー面倒くさい」、
母の口癖も「あー面倒くさい」、
そしてそれを聞いて育った私の口癖も
もちろん「あー面倒くさい」だった。
面倒くさいことはなるべくやらないで済むなら、その方が良いに決まってる。
疲れやすいから体力使いたくないし。
そんな省エネ主義の出不精思考だった。
でも、それだと大人になってから
「圧倒的経験不足と積み重ねの無さ」でつまずくんですよね…。
◇面倒くさいこと=実は一番やりたいこと?!
過食症を治す過程で色々な人のお話を聞く中で、あるインフルエンサーの方がこんな事を言っていた。
「”面倒くさい”と思うことこそ、
片づけていくとどんどん元気になる。
あなたが面倒くさがっている事こそが、
あなたが本当にやりたい事なんだよ」
◇「自分を生きる」スピリチュアルを間違って捉えていた
この言葉は目から鱗だった。
数年前は「自分に正直に生きる」
「やりたくないことはやらない」という
自分主義の考え方が流行っていたんだけど、
それでは幸せになれなかったどころか
体調も崩すしお金も無くなっていった。
その教え自体が間違っていたのではなく、
私の「正直に」と「やりたくないこと」の
判断基準が間違っていたのだ。
「自分に正直に生きる、やりたくないことはやらない」は
食べたいからケーキを食べて、
お風呂に入りたくないから4日も入らないで、
怒ったから身近な人に八つ当たりして、
家事や仕事をサボることではない。
(本当に疲れている日など例外はある。
ちなみにすべて実話😇)
◇面倒くさかった事をとにかくやってみた
私がいつも面倒くさがってサボっていたことは、たとえば部屋の掃除に自炊。
食べたらすぐに洗い物を片付けること。
朝起きたら散歩に行くこと。
これを楽しんでやっている
いわゆる「丁寧な生活」をしている人は
大抵育ちが良く、佇まいも美しくて
自分とは別の人種なのだと思っていた。
でも、違う。
「面倒くさい、やりたくない」は
母や世間からの刷り込みで、
自分のもっともっと深奥では
「やるべきことを気持ちよく片づけたい」はずなのだ。
それをやらないから、体内でエネルギーが腐って(私の場合は)過食につながっていたんだ。
最初はうーとかあーとか言いながら(笑)
重い腰を上げて部屋の片づけや
朝散歩から始めると、
どんどん行動力が上がって
自分で健康的な食事も用意出来るようになって、過食の頻度が減った。
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ただ、本当に体調が悪い時は無理しない。
心から「やりたくない」時は体調が戻るのを待って一日のうちのどこかで出来れば良いとしている。
「面倒くさい」と「本気のやりたくない(出来ない)」の見極めは実践による慣れがいるかも。
◇最後に
行動=面倒くさいから
行動=楽しい!に変わったおかげで、
「いつかやりたい」と思っていた家庭菜園や
YouTubeでの楽曲カバーや弾き語りの投稿も叶えることが出来た。noteでの発信もその一つ。
そもそも、「やりたいこと」「やるべきこと」と心の奥底では分かっているからこそ
「面倒くさい」が出てくるのだ。
「面倒くさい」が出てきたら、
「やりたい」のサインだと思って
最初は呻きながら、這いつくばりながら(笑)
それでもやってみる。
ちなみに面倒くさい行動に手をつけてから
ある一定の時間を超えると楽しくなってくる現象を「作業興奮」というらしい。
「ランニングハイ」と似たようなものかもしれない。