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どろどろした情熱を制御するに騎士道と文学が活用された中世
ホイジンガ『中世の秋』(堀越孝一訳)VIII 愛の様式化 IX 愛の作法
<要旨>
ひとつの時代-12世紀から15世紀ーを通じ、支配層が生活と教養の知識ーキリスト教の徳目、社会道徳、生活形態のあるべき完全な姿ーを学び取ったのは、恋愛術という枠組みにおいてであった。
下層階級の情熱のうずきには教会が目を光らせ、教会への依存が少ない貴族には文学、モード、社交の作法が愛の世界に規律を与えたのだ。
1280年以前に完成されたギョーム・ド・ロリスとジャン・クロピネルの手による『ばら物語』で示されたものが、その枠組みである。ダンテの『新生』は1293年頃だから、それより早い。
同作品が、あるひとつの視点で人生のすべてのことを理解しようとする中世精神の大がかりな努力を示しているのは、スコラ哲学の同一線上にあると言える。
宮廷風の理想を映す美しい作法、婚約と結婚、これらの2つがまったく無関係であったために、愛の生活に関する遊戯、会話、文章といった諸要素がなんの制約もなしに展開されえたのだ。
愛の理想、誠実と献身の美しい虚構は、貴族の結婚につきものの物質的な思惑とは離れたところで成立したのである。
その実態は、いったい、どうだったのか?
『騎士ド・ラ・トゥール・ランドリ、娘教育の書』に夫婦で意見を交わす場面がある。そこで妻は、恋は真の信仰を妨げる、というのだ。恋をするとその想いばかりで耽って、教会でのミサでも司祭の話がそっちのけで耳に入ってこない!
1545年のトリエント公会議以前にあっては、宗教行事がフランクに日常生活のなかに編みこまれていた。教会用語を性的な事柄の表現に使うことは、中世においてあけっぴろげに行われ、真面目に敬虔に行われた巡礼が、実は恋の冒険によく利用され、それを戒める空気がなかった時代にあっても、恋は信仰を邪魔とするものとしてみる人もいたのだ。
その生活に社交の作法システムがあり、貴族の若者たちは、それで満たされていた。それらが文学として記録が残っているのだが、規則や作法をもりこんだ礼式集の類は、作詩の手引きとして作られたのではなく、貴族の生活ー会話ーで実際に役立つためにつくられた。
ギョーム・ド・マショー『真実なる物語の書』は、老齢の詩人が貴族の18歳の少女にアプローチをうけ、その交際を綴っている。感情表現は、冗長な理詰めな考察にひきずられ、アレゴリーをあやつる想像と夢想の衣に包まれていたが、感動させられる。
ただ、感動させられるのは、詩人の深い心情に対してである。詩人が若き恋人「いと美しき人」と出逢えた幸運を悦び、一方、「いと美しき人」は詩人とその彼の心を弄んでいるに過ぎない。
そのことに詩人自身が気づかずにいたがゆえに、詩人は深い心情をもたざるを得なかったーー。
<わかったこと>
奔放な情熱に振り回されていたのが中世であり、その制御のために騎士道や愛の文学が成立した。愛の様式化と作法に関する章を読んでいると、前回の騎士道と同じ構図があるのに気づく。
騎士道は用兵学と原理的に合わないが、現実の生活の指針として発達した愛の文学も根本的なところで現実と乖離していることで成立していた。ギョーム・ド・マショー『真実なる物語の書』で、マショー自身が18歳の少女に弄ばれていたことに気づいていないのが、その現実をよく表している。
ここで、この正月にみた映画を思い起こす。
作家の井上光晴と瀬戸内寂聴の不倫の恋を踏まえ、井上の長女・荒野が書いた小説『あちらにいる鬼』の映画をみた。井上が豊川悦司、瀬戸内を寺島しのぶ、井上の妻を広末涼子が演じている。
これを見ながら、二つのことに気づく。
最近、小説家が旺盛な恋をリアルに生きるというケースが少ないのか、メディアがとりあげないのか、あまり目にしないと気づいた。それがひとつ。
もう一つが、ドラマでよく問題とされる異性の関係にだらしない父親や母親の姿ー例えば、ドラマ『極悪女王』にもあるーと、作家の不倫とどう違うのか?ということ。
つまり、作家の渡辺淳一の小説がもつ嫌らしさは、中世の貴族の恋愛文学と同じなのか、違うのか?ということでもある。
お互いかなり薄氷の上を歩いているとの点で共通しているのだろう。
冒頭の写真はマントバのドゥカーレ宮殿にある絵画